イルカカ   奥さまは写輪眼






団地妻カカシさん

   




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30


ホゥホゥとミミズクの鳴く暗い森の小路を走り抜け、俺は慰霊碑が見渡せる少し手前で止まった。

慰霊碑の前に佇む人影が見えた。
夜目にも白くぽうっと輝いて見える銀髪。
カカシさんだ。
カカシさんは、ほんの少し猫背気味の背中を向けて立っていた。

カカシさんは、既に俺の気配に気が付いているだろう。
それでも、まんじりともせず慰霊碑の前に佇んでいた。
薄曇りの月明かりに照らされて輝く銀色の髪は、とても美しかった。
月の光の中に今にも溶けて消えてしまいそうなほど儚く見えた。
やはりカカシさんは月の精なのではないだろうかと疑いそうになるほどだ。
幻想的な、夢のような光景なのに、その後ろ姿はあまりにも寂しげで胸が詰まった。


カカシさんは、やはりこのまま月に帰ってしまうつもりなんだろうか。
情けない男に見切りをつけて……
口ばかりの男に愛想をつかして……

駄目だ!

絶対に、月になんか帰らせない!


「カカシさん!」
森の静寂を破って放った俺の大声に驚いて、周りの木に居たミミズクがバサバサっと飛んで行った。
自分でもびっくりしたが、今まで微動だにしなかったカカシさんの肩も僅かに揺れた。

「カカシさん!」
もう一度、呼んだ。
「カカシさん、話を聞いてください!」
「いやです!」
激しい拒絶の言葉が返って来た。
やはり怒っているのだろうか。
勝手にしろなんて冷たい言葉を投げつけておいて、今頃のこのことやって来た俺に呆れているのだろうか。

カカシさんの背中が頑なに俺を拒んでいるように見えて、カカシさんの側に駆けつける勇気が無かった。
このままこの場所から少しでも動いたら、カカシさんに近づいたら、カカシさんは瞬身で消えてしまうんではないだろうか。
そうしたら、もう二度と俺の手には捕まらないのではないだろうか……
そんな恐怖がよぎる。
足が竦む。

「お願いです!話を聞いてください」
「いやです!!」
「カカシさん!」
離れた場所から、必死で声を張り上げ呼び掛け続けた。
「いやです、いやです、いやです!!」
カカシさんは俺に背を向けたまま激しく首を横に振った。
「いやです!聞きたくなんかありません!」
しまいには両手で両耳を塞いでしまった。

ああ、そんなに嫌われてしまったのか……
だが、ここで諦めてなるものか。
俺は、逃げないでくれと心の中で祈りながら、しつこくカカシさんの名前を叫び続けた。








31


「カカシさん、お願いです!話を聞いてください!」
「いやです、別れ話なんか聞きたくありません!」
何度目かの呼び掛けに、突如カカシさんがそう叫び返した。
えっ?
別れ話だって?
カカシさんは、本気で俺に愛想を尽かしてしまったのか……
別れ話なんかするものか!

「カカシさん、俺にもう一度チャンスをください!やり直させてください!」
俺は絶叫した。
「えっ?」
カカシさんがようやく振り向いてくれた。
「別れ話じゃないんですか?」
「なんで俺が別れ話なんかするんですか!カカシさんが別れたいと言っても俺は嫌です!」
「俺だって、イルカ先生と別れたくなんかありません!」
「へっ?」
なんで俺がカカシさんと別れなければならないんだ!


「本当に本当に別れ話をしに来たんじゃないんですね?」
俺の当惑を他所にカカシさんが念を押すように聞いて来た。
「当たり前です!」
「よ、良かったぁ……」
カカシさんは、そう言うなり、へたへたとその場にへたり込んでしまった。
俺はようやく呪縛が解けたように前に進むことが出来るようになり、カカシさんの所まですっ飛んで行った。
カカシさんの目の前に膝をつき、同じようにしゃがみ込んだ。
「カカシさん、すみませんでした!」
傍らに花束を置いて、土下座する勢いで頭を下げた。

「な、なんでイルカ先生が謝るんですか?」
カカシさんはポカンとしている。
「謝らなければならないのは俺の方です。またイルカ先生を怒らせるようなものを買って来てしまって……。俺、恥ずかしくって情けなくって、飛び出て来てしまって……そうしたら、もっと恥ずかしくなって、イルカ先生にはもう嫌われてしまったと思って、合わす顔が無かったんです。だ、だから、別れ話を切り出されるんじゃないかと思って……俺……俺……怖くって……」
カカシさんの声は弱弱しく掠れる。

「わ、別れたりなんかしません!カカシさんが嫌だって言っても絶対に離しません!俺はカカシさんの全てを愛しています!!それなのに、俺がっ、俺がっ……」
俺は一呼吸置いて声を張り上げた。
「俺が馬鹿みたいに普通に拘って、カカシさんを傷つけてしまった。許してください」
そして、もう一度、頭を下げた。

「や、止めてください。イルカ先生っ!普通じゃないのは俺なのに。俺が非常識なことばかりしてイルカ先生を困らせてばかりいたのに。イルカ先生は優しいから……こんな時も自分から折れてくれるんですね……。だ、だけど、俺、悪い所はちゃんと直しますから!ちゃんと叱ってください!」
俺の目の前でカカシさんも、俺と同じように深々と頭を下げた。
僅かに乱れた銀色の髪がぱさりと垂れる。


カカシさんは悪くない。
追い詰めてしまったのは俺だ。
俺にカカシさんを叱ったり詰ったりする資格なんかない。

カカシさんが普通じゃない?
なら、カカシさんと結婚した俺だって普通じゃないと言うのか?

普通の人間
普通の生活
普通の家族
普通の夫婦
普通、普通、普通……

……普通ってなんだ?


俺はアカデミーで生徒達に、個性は大切だとか、個性を尊重しろなんて教えて来た。
その癖、自分のことになった途端に、普通と言う言葉に拘っていたんじゃないか。
型に嵌まった生活に固執したのは俺じゃないのか。

そして俺は自分のつまらないプライドに縛られて、カカシさんの交友関係に嫉妬したんだ。
カカシさん全てを、俺が安心出来る普通と言う型に嵌めようとしていたんだ。
自分に都合のいい人間にして、安心するつもりだったんだ。
自分の幻想を勝手に押し付けていたんだ。
欺瞞の塊だ俺は。


普通の幸せ?

普通の愛情?

普通の幸せを俺が与えてやろうだなんて、奢りもいい所だ。

何が普通だ!


愛情に普通も糞もあるか!








32


「カカシさん、普通ってなんでしょう?」
「はっ?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてカカシさんが顔を上げた。
「俺は、自分のことを平凡な人間だと思っています。ごく普通の女性と平凡な結婚生活を夢見ていた普通の男でした。カカシさんのような非凡な人と結婚するなんて夢にも思っていませんでした」
「そんなっ、俺はっ…俺だって、普通のっ」
「聞いてください」
俺は正直にカカシさんに話さなければならい。

「俺は凡庸な人間だから、カカシさんに相応しくない。
カカシさんと釣り合うわけはない。
だけど、カカシさんが普通の生活を望んでくれたから、俺でもカカシさんと暮らしていけるんじゃないか。
カカシさんが、普通の所まで降りて来てくれたら、一緒に普通の生活を営めるんじゃないか。
そんな風に考えていた馬鹿な男です。
俺は最初から、あなたに合わせて貰うことばかり考えていたんです」
「そんなこと……」
突然の俺の懺悔にカカシさんは戸惑いを隠せず、顔色はと言えば青白く見えた。
そりゃあそうだろう。
いきなりこんなことを告白されたら、俺と言う人間に呆れるかもしれない。
それでも、俺は言わなければならない。


「それに俺は、カカシさんが甘いものをそんなに好まないのを知っていて、タイ焼きだのアイスだの押し付けていたのに、カカシさんは、嫌な顔一つせず受け入れてくれた」
「ちがっ、違いますっ」
カカシさんは俯いていた顔を上げ首を大きく左右に振った。
「俺はっ、俺はっ、イルカ先生が俺のことを思い浮かべて買って来てくれるお土産が、本当に嬉しかったんです」
「俺も、カカシさんが喜んでくれるのが嬉しかった……カカシさんが俺のために買って来てくれた物も、俺のためにしてくれたことも同じことだったのに……」
「同じじゃないです……きっと……俺は常識に欠けるから……」
再びカカシさんは萎れるように俯いてしまった。
春の日溜まりのような笑みの似合う人なのに……

「そんなことはありません。カカシさんと俺は違う人間です。育った環境も性格も能力も、今までの生活も友人関係も何もかも違う。だから違って当たり前なんです」
「………俺は……普通とは違い過ぎるってことですよね……」
「そうじゃないんです!普通の家庭、普通の夫婦なんて物は、端から無いんじゃないでしょうか?俺達二人で築く家庭が、それが俺達の普通でいいんじゃないでしょうか」
カカシさんはじっと俯いている。
俺の言葉がどの程度届いているのかわからない。
カカシさんから笑みを奪ってしまったのは俺だ。



「カカシさん、これ……」
俺は傍らに置いた白い紙に包まれた花束を掴み、桔梗の花が良く見えるようにカカシさんに向けて見せた。
「これは?」
カカシさんが僅かに顔を上げ、花を見ると不思議そうに尋ねて来た。
「カカシさんは薔薇より、こう言う雰囲気の花が好きみたいだって、いのに聞きました。俺はそんなことも知らなかった。いいえ、どんな花が好きなのか聞きもしませんでした。俺の土産はいつも自己満足の極みだった」
「そんなこと……だったら俺も……俺のしていることだって自己満足だったはずです……」
カカシさんは花を見詰めていた視線を再び地面に下げて俯いてしまった。

「カカシさんは、いつだって、俺のことを思って、俺のことを考えてくれていたじゃないですか。真っ直ぐに俺に愛情を示してくれたじゃないですか。それを俺は……」
俺の声を聞きながらカカシさんの首が微かに左右に振られる。
馬鹿な常識、些少なプライドに縛られて、俺は素直に受け止められなかったんだ。
カカシさんがどれだけの努力をしてくれていたのか、今ならわかる。
カカシさんがどれほど、俺のことを思っていてくれたのか、痛いほどわかる。
やっぱり、カカシさんは俺には勿体ないような人だ。
それでも、俺は……








33


「俺は、あなたの夫としても、教師としても、人間としても未熟です。
俺はカカシさんに相応しい男ではないかもしれないが、カカシさんが好きだ。
カカシさんを愛しています。
カカシさんの全てが好きです。
ありのままのカカシさんが好きなんです。
だから……
カカシさんの好きなものを、もっと、もっと、俺に教えてください。
俺の所へ……
俺達の家へ帰って来てください」

花束を地面に置き、その両脇に手をついて頭を下げた。
俺はまな板の上の鯉のような心境でカカシさんの返事を待った。
返事はなかなか返って来なかった。
二人して黙り込めば夜の森は再び静寂に包まれる。
時折り、遠くでミミズクが鳴く。
沈黙が重く重く俺の肩にのしかかる。


「イ、イルカ先生……や、止めでください……俺に頭なんか下げないで……」
長い長い永遠かと思われるような沈黙の後に、カカシさんが掠れた小さな声を出した。
「お、俺は……少しでもイルカ先生の理想に近づきたかったんです……イルカ先生の望むような理想の家庭を演出したかったんです……でも、土台俺には無理だったんです……俺みたいな人間はイルカ先生には不釣り合いだったんです……」
「不釣り合いなのは俺です。でも、それでも、俺はカカシさんがっ」

また、遠くでミミズクの鳴き声がした。
だが、今の鳴き声は……
まさか……


「カカシさん」
俺はさりげなくカカシさんに顔を寄せ、声を潜めた。
俺のただならぬ様子にカカシさんの気配も一変した。
感覚を研ぎ澄まし辺りの気配を探れば、あちらこちらに身を潜めている者の気配が感じ取れた。
一、二、三、四、五……
囲まれている。
何者かが息を殺し、俺たちを監視している。
迂闊だった。
こんな時間に、こんな場所に、いつまでもカカシさんを滞在させるのではなかった。

カカシさんももう気がついただろう。
それとも俺よりも先に察知して、密かに警戒していたのだろうか。
「カカシさん、何者かに囲まれているようです。さっきの鳥の鳴き声は、この辺に生息する鳥の鳴き声ではありませんでした」
仲間同士の合図に使ったのだろうが、この森の生態を良く知らない他所の忍びだろうか。
「えっ、あの……あっ、あの……この気配は……」
「狙いはカカシさんでしょうか」
と言うよりもカカシさんに決まっている。
俺なんかを襲ってどうする。
カカシさんはビンゴブックに載っている忍びだ。

俺たちを見張る何者かは、殺気を感じさせないように上手く気配を殺しているようだが、張り詰めた空気は伝わって来る。
何者がどんな目的で見張っているのかは知らないが襲撃して来るのなら、どんなことをしてもカカシさんを守らなければ。
俺が敵わぬ相手だとしても、カカシさんには指一本触れさせない。
俺が先に討たれようともカカシさんには生き延びて欲しい。
そうだ、カカシさんにはどんなことをしても生きていて欲しい。
それが俺の究極の願いだ。


「カカシさん、お願いがあります。いざという場合は、俺には構わずに最善を尽くしてください。俺が足手まといだと思ったら、切り捨ててください」
「なっ!」
俺の台詞にカカシさんは、蒼褪め絶句した。
この人は優しいから、仲間思いだから、そんなことは出来ないのはわかっている。
だけど、俺が足手まといになるなんてまっぴらだ。
カカシさんが苦戦するような相手だったなら、俺はカカシさんの盾にもなろう。
俺は、俺のためにカカシさんに傷ついて欲しくない。
俺は命を掛けてカカシさんを守りたい。

「俺のためだと言うのなら、俺に構わないでください」
「そんなことっ!」
「だけど、俺は、俺は命を掛けてカカシさんを守ります!」
「イ、イルカ先生……」
「いいですか、襲撃して来たら先ずは俺が囮になります」
俺は片膝をつき、敵に気取られぬように忍ばせていたクナイに手を滑らせ、いつでも反撃できる体制に入った。








34


それなのに、カカシさんは、
「違うんです、これは」
そう言うなり、いきなり立ち上がり、いつの間に抜いたのか目にも止まらぬ早業で四方八方にクナイを飛ばし、「散!」と叫んだ。
クナイは慰霊碑を取り囲む森の大木に突き刺さり、身を潜ませていた何者かは蜘蛛の子を散らすように一瞬で散った。
えっ?
えっ?えっ?
追い払っちまっていいのか?

「今のは……暗部の奴らです」
唖然とする俺に、カカシさんは更に唖然とする種明かしをしてくれた。
「あいつら、俺の気配を追って来たんです……」
そ、そうか……
アカデミー帰りの俺を故意に引き留めていたことや、カカシさんが買い物を頼んでいた事がばれたと知れ、その後にカカシさんが家を飛び出したとわかったら、彼らなら追って来るかもしれない。
俺は脱力しながら立ち上がった。
本当にカカシさんは愛されている……
俺が守るだなんて笑っちまうよな……


「俺は、イルカ先生を切り捨てたりなんて出来ません。そんなこと当たり前です。俺は……俺だって、イルカ先生には怪我もして欲しくないし、どんなことをしても生き抜いて欲しい……だけど……だけど……俺のことを命懸けで守ってくれるって……」
俺がカカシさんを守るだなんて、幸せにしてやるなんて言うのと同じくらいおこがましいことだ。
それに、忍びとして、たった一人だけ守りたいだなんて、言ってはいけないことかもしれない。
それでも、俺は……
俺は……

「俺、そんなこと言われたの初めてです」
突然、カカシさんは抱きついてきた。
まるで体当たりのように全身で俺の胸に飛び込んで来たカカシさんに俺は蹈鞴を踏んだが踏ん張って耐え、深く胸に抱き込み強く強く抱きしめ返した。
「俺を叱ってくれるのも……諭してくれるのも、俺にそんな風に言ってくれるのもイルカ先生だけです。俺の方こそ、至らぬことばかりですが、イルカ先生と……イルカ先生といていいですか?」
カカシさんは俺の右肩に顔を埋め囁いた。

「カカシさん……」
俺はカカシさんの顔が見たくて、肩を掴んでそっと顔を上げさせた。
カカシさんの視線が俺の視線と絡む。
カカシさんの蒼い瞳の中に俺が映っている。
吸い込まれそうな瞳の中に俺だけが映っている。
もう、それだけで充分だった。

「カカシさん」
「イルカ先生」
名前を呼び合い、どちらからともなく顔を近づけて行き、唇が触れそうになった直前、カカシさんが再びクナイを前方に放った。
「うわっ」と言う間抜けな悲鳴、バサバサと梢を揺らし、ドサッと落下する音がした。
散ったと思った暗部の後輩たちが、デバガメよろしくいつの間にか戻って来ていたらしい。
カカシさんは木を狙ったのだろうが、今のクナイには、本気の殺気がこもってそうだった。
カカシさんの殺気に当てられて木から落ちた暗部を、数人で抱えて慌ただしく去って行ったが大丈夫だろうか……

口を開けて後ろを振り返っていた俺の顔を、カカシさんの白い指が引き戻す。
「イルカ先生、俺だけを見て」
甘い囁きが俺の全神経を再びカカシさんに舞い戻させる。
もう一度、見詰め合う。
カカシさんの手が俺の背中に回される。
俺もカカシさんの腰に手を回してカカシさんの身体を引き寄せる。
今度は互いの瞳を覗きあったまま、ゆっくりと顔を寄せ口付けた。


もう、カカシさんしか見えない。

カカシさんしかいらない。

カカシさんを愛している。

カカシさんが俺の腕の中に居てくれる幸せ………


合わさった唇から、互いの思いが流れ込んで行く。
俺たちは、月明かりに照らされて飽くことなく口付けを交わし合った。



カカシさんの吐息が甘く乱れる頃、俺たちは名残り惜しげに唇を離した。
「カカシさん、帰りましょう、俺たちの家に」
「はい、イルカ先生」
目元をほんのりと染めてカカシさんは頷いてくれた。
「あ、お花」
カカシさんはひょいと身を屈めて地面に置きっ放しだった花束を取った。

「イルカ先生、このお花、少し、ここに供えて行ってもいいですか?」
「えっ?ああ、勿論です。少しと言わず全部でも構いませんよ。カカシさんには、また好きな花をいつでも贈らせて頂きますから」
「いいえ、数本でいいんです」
カカシさんは桔梗の花を四、五本抜き取ると、慰霊碑の前にそっと置いた。
そして静かにこうべを垂れた。

さっき俺がカカシさんを見つけた時と同じ姿だった。
カカシさんは、いつもこうしてこの慰霊碑の前で対話しているのだろう。
手を合わせるでもなく、ただじっとこうべを垂れて……

俺もカカシさんの隣で同じように頭を下げて、心の中で慰霊碑に語り掛けた。


カカシさんを、もう一人で泣かせたりしません。

カカシさんの帰る場所は、俺のいる場所です。

俺の帰る家も、カカシさんのいる家です。

俺たちは家族になりました。

カカシさんは俺の大事な大事なたった一人の家族です。

カカシさんを死ぬまで大事にします。








35


ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ………



一日の始まりを告げる目覚まし時計が、いつものように鳴った。
腕を伸ばして目覚ましを止める。
俺の胸もとに頭を押し付けて眠っているカカシさんはピクリともしない。


肘をついて上半身だけ起こすと、布団がずれてカカシさんの剥き出しの白い肩が見えた。
朝日の中で見れば一段と白く美しく輝いているようだった。
月明かりの下では硬質な感じのする肌は、滑らかで俺の手に吸いつくような感触がする。
そしてしっとりと汗ばんでくると更に俺の掌に馴染む。
昨夜は、何度この肩を抱き寄せ、抱き締め、交わり合っただろうか。

カカシさんが気を失うように崩れ落ちて眠りについたのは明け方近かった。
カカシさんは、多分、今日は使い物にならないだろう。
こんな状態のカカシさんを任務につかせるわけにはいかない。
叱責覚悟で、今日の任務は休ませてくれるよう五代目に直談判して来よう。


まだまだ深い眠の中にいるカカシさんを起こすのは可哀想だが、俺が出掛けた後に飛び起きて慌てさせるのも可哀想だ。
「カカシさん、カカシさん、朝ですよ」
ほんの少しやつれた感のある白い頬を軽く叩いたが、目を覚まさない。
「カカシさん、少しでいいから起きてください。目を開けて」
「……うーん、イルカセンセ……まだ……寝かせてぇ……」
肩を揺さぶってようやく意識が浮上してきたようだ。

「カカシさん、カカシさん。ちゃんと聞いてください。五代目には俺からお願いしておきますから、カカシさんは今日は家で休んでいてくださいね?聞こえていますか?カカシさんは今日はお休みです。このまま寝ていていいですよ。俺はアカデミーに行って来ますが」
「えっ?もう、朝?おっ、俺も起きます!……あっ……ッ……」
カカシさんは突如、覚醒しバネのように飛び起きようとしたが、カカシさんは途中で呻いて崩れ落ちそうになった。
俺はカカシさんの身体を抱き抱えて支えた。
「大丈夫ですか?無理しないでください」
「イ、イルカ先生?」
飛び起きたはいいが、まだ寝ぼけているのだろうか。
きょとんとした顔が超絶、可愛らしい。


「ね、カカシさん、今日は休んでください。五代目には俺から上手く言っておきますから」
「え?俺、大丈夫です。起きて朝御飯の支度を…………ッ……」
俺の胸に手をついて起き上ろうと身を捩った途端、カカシさんは息を飲み顔を赤く染めた。
「どうしました?」
「……イルカ先生のが……」
「す、すみません!」
昨夜、俺もはカカシさんの身体をざっと拭うのがやっとで後始末まではしてやれなかった。
つられて俺も赤くなる。

「でも……」
俺の胸に顔を埋めて恥ずかしそうにカカシさんが言葉を続ける。
「でも?」
「でも、イルカ先生のくれるものなら……なんでも嬉しいです」
「カ、カカシさん!」
「…あっ……イルカ先生、苦しいです」
俺は感極まってカカシさんをきつく抱き締めた。
俺の奥さんは、美人で可愛くって健気で慎ましやかで、世界で一番素晴らしい奥さんだ!!!


俺はタオルを絞って来て、遠慮するカカシさんの身体を、今度は完璧に綺麗に清めた。
カカシさんの恥じらう姿がまた絶品で、昨夜あれだけ愛し合ったと言うのに、実は俺の方もやぱかった。
でもこれ以上、カカシさんに負担は掛けたくないし、このまま雪崩れ込んではアカデミーにも遅刻する。
俺は暴れ出しそうになる息子を懸命に抑え込んで、カカシさんを綺麗にすることに専念した。

そして新しいパジャマに着替えさせ、玄関まで見送ると言って聞かないカカシさんを無理矢理ベッドに押し込んで、俺は出掛けることにした。
「行って来ます、カカシさん。昼休みには弁当を買って戻って来ますから、大人しく休んでいてくださいね」
「行ってらっしゃい、あなた」
額にキスをすると、相も変わらず恥ずかしそうに「あなた」と呟いてくれる初々しさ!
ああ、可愛い奥さんに見送られて仕事に行く幸せ!

団地から外に出ると、太陽がやけに黄色く目に眩しかったが、これぞ幸せの眩しさ!
うみのイルカ、今日も馬車馬のように働いて来ます!
俺は意気揚々と職場に向かった。




そして昼休み。
俺は職場の同僚にからかわれながら、頼んでおいた仕出し弁当を二つ抱えて職員室を飛び出した。
文字通り、すっ飛んで団地に戻った。
灰色の味気ないコンクリートの団地も、俺には薔薇色のスイートホームだ。

「イルカ先生」
団地の敷地内に入った所で、どこからともなく顔見知りの丑の面の暗部が現れた。
「こんにちは」
俺は今まで通りに挨拶をした。
「あの……申し訳ありませんでした!自分たちは出過ぎた真似をしました」
彼は身体を深く折り曲げて頭を下げた。
団地周りはちょっとした公園のようになっていて緑に囲まれている。
その緑の中、他にも暗部が何人か潜んでいるようでもあった。
彼は暗部の後輩を代表してやって来たのだろうか。

「いえ、あなたたちに謝って貰うことではありませんよ。こちらこそ、ご迷惑をお掛けしました」
俺もカカシさんも、もうそんなことはちっとも気にしていない。
「あの、今日はカカシ先輩のお姿をお見掛けしないのですが、どうかなさいましたか?」
流石、カカシさんの親衛隊を自認するだけのことはある。
毎朝、毎日、カカシさんチェックをしているのだろうか?
まあ、それだけカカシさんのことを心配してくれていると言うことだろう。
きっと、これからも暗部の後輩たちには、カカシさんはお世話になるだろう。
彼らは影に日向にカカシさんを守ってくれているようでもある。
有り難いことだ。
カカシさんの夫として感謝すべき所は感謝しなければならない。
そう、感謝しているとも!

「カカシさんですか?昨夜ちょっと無理をさせてしまいまして起き上れないんです。俺は昼飯を届ける所ですので、また!」
俺はそう言い捨て、彼に背を向け団地の中に入った。
丑の面の暗部が凍りつき、声にならない悲鳴を上げたような気がしたが、知るものか。
あちこちの木から、人が落ちたような気配がしたが、知るものか。



団地の中に駆け入って、昼でも薄暗い狭い階段を三階まで駆け上がる。
ペンキの剥げた玄関のドア。
表札には、二人の名前が並んでいる。
ドアを開けて家の中に飛び込む。


「カカシさん、ただいま!」
「イルカ先生、お帰りなさい!」


最愛の奥さんが最高の笑顔で出迎えてくれる。
最高に幸せな瞬間。



団地の一室に今日も幸せの声が響く。





end



あとがき
庶民的なイルカ先生と、団地は似合わなそうなカカシ先生の、
見合いで始まる恋愛ドラマ……なんて物を書いてみたくて始めたお話でしたが、
イルカ先生とカカシさんの差異を強調するあまり、
かなり「天然お嬢さま」なカカシさんになってしまいました。
こんなのカカシさんじゃなーい!と思われた方、ひたすらごめんなさい!
「カカシさん、ただいま!」
「イルカ先生、お帰りなさい!」
と言うフレーズをしつこいほど繰り返して、
普通の生活、日常の幸せ、なんてものを表現してみたんですが、どうだったでしょうか?

犬も食わない夫婦喧嘩の末、一応、雨降って地固まりましたが、
多分、この二人はまだまだ色々と噛み合っていないような気がします。
会話もちゃんとしたキャッチボールになっていません(笑)って、この辺、わざとなんですが!
イルカカの二人って、ある部分に置いては完全に理解し合うことはないのかもしれない……
管理人のイルカカ観は、いつもそんな感じです(笑)

自分と違うからこそ惹かれたり、理解不能な者同士でも恋に落ちたり、
わかりあえなくっても、どこかで折り合いをつけたり、上手くやって行ける場合もあるんじゃないかと……
みんな違うから人間なんだ!!(笑)


2011/07/27、07/29、08/01、08/03、08/06、08/08




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