マスカレード





7.    8.    9    10    11    12










7.


そしてボクは自慰を覚えた猿からセックスを覚えた猿になった。
つまり肉欲に溺れたわけだが、突っ込めれば相手は誰でもいいわけではなかった。
しばらくの間、ボクはカカシ先輩の尻に突っ込むことばかりを考えていた。
カカシ先輩が他の先輩と寝ている姿をみれば嫉妬に胸を焦がしたが、そこには愛だの恋だのそう言う甘い感情は無かった。
そんなものは最初から存在していなかった。
これは多分、刷り込みだ。
初めて味わった快感が忘れられなかっただけだ。
ただひたすらボクの股間は、カカシ先輩の穴を求めて猛り狂っていたのだ。

物欲しそうな目で追い掛けるボクに、カカシ先輩は何度かに一度は付き合ってくれた。
そして、ただ我武者羅に突っ込んでヘコヘコと腰を振るボクを笑いながら眺めていることもあれば、酷い罵声を浴びせて来ることもあった。
最中に蹴飛ばされ、上に乗られ、主導権を握られ、射精をコントロールさせられたりもした。
そうしてボクはセックスのイロハを教わって行ったのだ。
だがそれは、暗殺の技や策略を伝授されるのとなんら変わりはなかった。
自慰よりも気持ち良い恰好の息抜きをボクも知ったと言うことだ。
そうして任務も息抜きも自然と上達して行った。




カカシ先輩が分隊長だった頃、先輩率いる班の任務成功率は群を抜いていた。
また生還率は、群を抜いていたどころか、百パーセントだった。
カカシ先輩は仲間を絶対に見捨てない。
ボクも何度窮地を救われたかわからない。
それゆえにカカシ先輩は暗部で絶対の信頼を置かれていた。

カカシ先輩が途中、作戦を勝手に変更することがあったが、それが許されるのもそれゆえだった。
作戦変更の際、単独で行動することもあれば、何人か同行させることもあった。
その都度、ボクは同行を願いでものだが許可は出なかった。
殆どの場合ボクは後方支援か待機組だった。

「ボクも、行きます」
今回は絶対に木遁忍者がいた方がいい。
一人で潜入するなんて、どう考えても無謀に思えた。
だがボクの意見は、今回も取り入れられそうもなかった。
「いや援軍は要らないと、それがカカシの判断だ。我々は分隊長に従う」
「無謀です。自殺行為です」
「自殺志願者じゃあるまいし、カカシはそんな無謀な計画は立てないさ」
食ってかかるボクに、後を任された副隊長は笑うばかりで真剣には取り合ってもらえなかった。

だが、自殺志願者……その言葉がボクの頭に残った。
そうだ、カカシ先輩はどんなに無謀に見えても本当に無茶なことはしないのだろう。
あの明晰な頭脳が弾き出した最良の行動を選択しているのだろう。
それが常人には理解できないことだったりするだけで、後から考えれば最良の選択だったと思えるのだから。
でも、それはいつでも結果論だ。
無謀でも無鉄砲でも無く、勝算ありの行動だとはわかっていても、いつだってカカシ先輩の行動は危険と紙一重だった。
分隊長だとは言え、なぜ全ての危険を一人で負わなければならないのか。
なぜカカシ先輩一人に全てを負わせて、みんなは平気でいられるのか。
本当に平気なのか?
ボクは悔しくてならなかったが、理由は明白だった。
邪魔になるからだ。
カカシ先輩の力量に見合わない相棒は、戦力どころか足を引っ張るだけだからだ。
ボクは自分の実力の無さが歯がゆくて仕方なかった。

そして、ついに、
「ここから作戦を変更する。テンゾウ、俺についてこい」
そう呼び掛けられる日が来た時、ボクはどれほど誇らしく感じたことだろう。
その一言が、どれ程、嬉しかったことか。
ボクはカカシ先輩の役に立つようになったのだ。
それ以来、徐々にボクはカカシ先輩の信頼を勝ち得るようになって行った。








8.


「ねぇ、ヤマト、今回もお仕事に行ったら、いつ戻って来られるかわからないの?」
カカシ先輩の補佐になってからと言うものボクは俄然忙しくなり、久しぶりに自宅に戻れた夜のことだった。
本当に久しぶりに帰宅できたのだが、早朝にはまた任務に出ることになっていた。
「寂しい思いをさせてすまないね。一度、外に出てしまうと時間は読めないんだ。何日の何時に帰って来れるとは約束できないんだよ」
「わかってる、わかっているわ。忍びのお仕事と言うのはそう言うものだって……だけど……寂しくて……」
「ごめん……本当にごめん。今の仕事が軌道に乗ったら少しは時間も取れるようになるから……」
ボクは寂しがる妻に言葉で詫び慰め抱きしめることしか出来ない。



暗部復帰へのカカシ先輩からの誘いは実質、火影命令と同じだった。
ボクは現役暗部に復帰したと言うよりも、総隊長となったカカシ先輩の補佐として暗部に戻ることになった。
良く言えば副隊長、だが肩書きなど名ばかりで、カカシ先輩の小間使いのようなものだ。
ボクはいつだって、こんな風にカカシ先輩にいい様にこき使われて来た。
口の上手い先輩に言いくるめられて貧乏くじを引くこともあれば、本当にボクにしか出来ない任務だと自負して従うこともあった。
ナルトの修行に付き合った時だってそうだった。
あの役は確かにボクにしか出来ない仕事だった。
だから文句はないが、あれも結構きつかった。
あの時は、体重を4〜5キロほど落としただろうか。
カカシ先輩がボクに命じる役割に、きつくなかったことなどないのだが、やはりそれは遣り甲斐もあり、その期待に答えて見せることこそがボクの自負心を満たすものでもあった。



暗部に復帰してからと言うもの、通常任務以上に激務で、ボクは家に帰れなくなった。
カカシ先輩の計画も要求も高度だった。
それに答えるには時間がいくらあっても足りない。
ボクはほんの少しの空き時間を見つけては、妻の顔を見に家に戻った。
寂しいと訴える妻は可愛かった。
嬉しいだの楽しいだの、そして寂しいだの、様々な感情をあらわにする妻を、ボクは愛しいと思うのだった。
そんな妻を早く安心させてやりたい。
それには、カカシ先輩の立案した新しい暗部編成を計画を通りに実行に移すことだ。
ボクは仕事に戻れば、いつも以上に精を出して働いた。




「ボクは反対ですね」
「お前なら、そう言うと思ったよ」
今日もボクとカカシ先輩の意見は対立した。
カカシ先輩は、その言葉通りにボクが反対するとわかっていて聞いているのだ。
それをまたボクも良くわかっていて、取りあえず反対意見を出すのだった。
こうしてボクたちはしばし対立した。
何度となく繰り返されて来たことだった。

「村野ジゾウは、ボクは暗部には向かないと思いますよ。早々に切るべきですね」
「お前はそう言うけど、彼、やる気はあるしねぇ」
「やる気だけでは務まりませんよ。人には向き不向きがあるんです」
「でももう少し様子を見てもいいと思うのよねぇ」
「足を引っ張ります。他の隊員を危険に晒すことになります」
「しばらくは俺がフォローするし」
ボクはこれ見よがしに大きくため息をついた。
いつだって、こうだ。
この人は面倒見が良過ぎる。
優し過ぎる。
甘過ぎる。

ボクらは、暗部の実働部隊の下に訓練生を作った。
そして訓練生の中からふるいに掛けている所だった。
実力から言っても、村野ジゾウと言う男は真っ先に外す男だと思ったのだが、カカシ先輩の見解は違った。
カカシ先輩は最初からジゾウのことを買っていたようで、何くれとなく目を掛けていたようだが、いかんせん彼はおっちょこちょいな男で、暗部には向かないと思うのだ。
ただジゾウはカカシ先輩にかなり憧れを抱いていて、確かにやる気だけはある。

「まさか全員の任務について行く気ですか?」
カカシ先輩は総隊長だ。
一々任務について行くことなんか出来るわけはない。
カカシ先輩はボクの皮肉に気付いて苦笑する。
「でもジゾウも、いいものを持っていると思うんだよね。ガッツは人一倍だし。あれはこれから成長するよ」
カカシ先輩は後輩や部下を信じ見守ることから始めるのだ。
「それにちょっとナルトに似ている」
ジゾウはナルトほどズバ抜けてはいないだろう。
ただ明るく……お調子者で五月蠅い男だから、そんな所は似ているのかもしれない。
いつまでたっても、この人は部下の成長が楽しみなんだろう。
今回もボクが折れるしかなかった。
「わかりました。それではジゾウはこれから徹底的にしごくと言う事で」
そう締めくくると、カカシ先輩は嬉しげに目を細めた。








9.


「カカシ総隊長、どうですか?今の連携はどうでしたか!」
暗部の演習場に、訓練生の声が響く。
班編成を決めるにあたって、今日はカカシ先輩が直々に訓練を見ているのだった。
暗部の生きる伝説であるカカシ先輩は、訓練生にも絶大な人気を誇っていた。
誰もが少しでも先輩の目に止まりたいと張り切っているのが伝わって来る。



「どう?ジゾウも随分、様になって来たんじゃない?」
目の前で村野ジゾウが、生え抜きの現役暗部相手に、なかなかいい勝負をしていた。
だが、ボクの目には、彼はまだまだ未熟に見えるし、暗部のレベルには達していないと思う。
今も、火遁相手に水遁壁を作って攻防戦を繰り広げていたが、目に見えて押され始めていた。
更に自分の生み出した水遁で足場が崩れ始めている。
下手をすれば、一気に火に飲み込まれるだろう。
だが相手は現役暗部だ。
ギリギリのところで加減してくれるだろうと楽観視していたのだが、あろうことか予想よりも早くジゾウの水遁が力尽きようとしていた。
危ないと思う間もなく、ボクの隣に立っていたカカシ先輩が「テンゾウ!」と一言ボクの名前を叫んで姿を消した。
ボクはその声だけで、反射的に行動を起こしていた。

「土遁壁!」
ボクはその場で地面に手を着き術を発動させた。
ボクは、ジゾウの目の前の地面から勢いよく土の壁を出現させ火遁を防いだ。
そして目にも見えぬような早さで、カカシ先輩はジゾウを抱えて安全地帯に飛んでいた。
周りの訓練生から一斉にどよめきが上がる。
称賛の声が湧きあがる。
先輩に抱えられていたジゾウは下ろされと、涙を流さんばかりの感極まった様子でカカシ先輩に感謝の言葉を喚き散らしている。
オーバーアクション気味にぺこぺこと頭を下げ、手を握って振り回し、今にも抱きつきそうな勢いだった。



「先輩は、ますます甘くなりましたね」
「そう?」
ほどなく訓練は再開され、カカシ先輩はボクの隣に戻って来た。
「ま、鞭ばかりじゃなく飴も大事でしょ。手助けがあって伸びる奴もいるんだよ」
いつだってカカシ先輩はこうだ。
『仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ』と言う言葉を信念とし、部下にも言葉で行動でそう教えている。
理解できるが、教育方針としては甘過ぎる事もあると思う。
アカデミーの子供ならまだしも、ここは曲がりなりにも暗部だ。
もう少し厳しくてもと言うボクと、何度、意見を戦わせて来たことか。
今回もまた、あそこで手助けしては、本人のためにもならないと思うのだが……

「でもお前だって助けてくれたじゃない」
ボクの内心の不満を読んだように言葉を掛けて来た。
「そりゃあ、先輩の命令ですからね」
「おや、俺は命令なんかしたっけ?」
カカシ先輩はすっとぼけるが、現にボクの名前を呼んで消えたではないか。
あれはボクに援護しろと言うことだろう。
名前を呼ばれなくたって、隣のカカシ先輩が消える気配を察すれば、ボクは同じ行動をしただろう。
これまでに、何度も繰り返して来た連携プレイのひとつに過ぎない。


「まあ、先輩の教えは立派ですが、暗部の教育方針としてはどうなんですか。ナルトに似ているって仰ってましたが、ボクは彼はナルトほど才があるとは思えない。やけにジゾウに甘くないですか?」
「あーん?たまたまでしょ。ジゾウじゃなくても、あれは監督官が助けるべき事案だったでしょ」
カカシ先輩は最初不思議そうに首を傾げてから笑い出し、スッとボクの耳に顔を寄せて来た。
「もしかして嫉妬か?」
耳元に手で壁を作り小声で耳打ちして来た。
「馬鹿なこと言わないでください」
ボクはさり気なく距離を取り直して、呆れた口調で否定の言葉を吐いた。

「可愛くなくなっちゃったね、お前」
まだ声に笑いが含まれている。
揶揄かわれているのだとわかるから、真剣に受け答えしても馬鹿を見るだけだ。
「ボクは元々、可愛くなんかありませんでしたよ」
「いやいや昔はもう少し可愛げがあったよ」
「大人になったと言ってください」
先輩と出会った頃のボクは本当にほんの子供だっただけだ。
「ま、結婚もしたしね」
と、カカシ先輩は、普通だったら冷やかしに聞こえるような台詞で結んだ。
たが、その時ボクには単なる冷やかしのような言葉には聞えなかった。
それは気のせいだったろうか。

カカシ先輩はボクが結婚しようがなんとも思っていないだろうと思っていたから、先輩から「結婚」という言葉が出て来るだけで、少し不思議な気がした。
「ボクの結婚が何か?」
普段なら口にしないような意味の無い質問が、口をついて出た。
カカシ先輩の見えている右眉がほんの少しあがった。
カカシ先輩も意外に聞こえたのだろうか。
驚いたと言うより面白がっているような表情が垣間見えている。
「お前が結婚するなんて考えもしなかったからさ」
嘯くように言う。
「そうですか?ボクは普通の生活に憧れていたんですよ」
「そうだね。お前は見掛け通りに真面目な人間だものね」
真面目な人間なものか。
真面目な男が、昔の男とずるずると関係を続けるものか。

結婚したって、ボクらの距離はちっとも変わらなかったじゃないか。
先輩が二年間、木ノ葉に居なかったことが嘘のように、元の木阿弥だった。
昔、暗部に居た頃のように、毎日、それこそ朝から晩まで顔を突き合わせている。
自宅に戻る暇さえ惜しんでボクは任務に明け暮れてし、ほんの少し時間が取れれば、睡眠に費やすか、手っ取り早く先輩相手に性処理だ。
何も変わっていない。








10.


「ね、テンゾウ。お前に子供が出来たら、俺が育ててやるよ」
「今、それを言いますか?」
ボクは呆れた。
今、ボクたちは何をしていたのか、わかっているのか?
ボクたちは、先輩の部屋のベッドの上で、まさに一戦交えた後だった。



今夜も帰りは遅くなってしまい、気がつけば零時を回っていた。
このまま帰宅し妻を起こすのも可哀想だし、待機所で雑魚寝でもしてしまおうかなどと思っていた所、カカシ先輩から飯の誘いを受けた。
忍び御用達の真夜中でもやっている飯屋がある。
飯も出せば酒も出す、居酒屋とも定食屋とも呼べそうな、だが味と量は確かな店だった。
特に腹は減っていなかったが、誘われた途端にビールが恋しくなった。
ボクは一も二もなく、先輩と店に向かった。

狭い店は、いつも半分くらい埋まっており、客の回転は速かった。
全て忍びの客同士は互いに視線のみで挨拶を交わし、みな黙々と飯を食い酒を煽って、さっさと帰って行くそんな店だ。
ボクたちも、簡単な肴をつまみに黙々とビールを二本ほど開けて、すぐに席を立った。
これもいつものことだった。
そして、待機所に戻るか、先輩の家に雪崩れ込むかは、いつだってその日の気分次第だった。
ボクには待機所以外に妻の待つ家に戻ると言う新たな選択肢があったのだが、今日も別れ間際の交差点で、ボクの足はカカシ先輩の家に向いてしまった。
先輩も特に何も言わなかったし、ボクも何も口にはしていない。
互いに何か態度に出したわけでもなかったが、一緒に飯を食いに外に出た時点で、こうなることは自明の理だったかもしれない。
疲れた身体にビールを流し込むのと一緒だ。
酒が入れば慣れた身体が恋しくなる。
惰性とでも言うのだろうか、ついつい気安い方に流されてしまうと言うのは。



程良い疲れに程良くアルコールの入った身体は、緩やかな欲望を生む。
まだ抑え込めば抑え込める程度のもどかしい熱が心地よい。
じくじくと膿のように育った火種は些細なきっかけで燃え広がる。
先輩とのセックスは、腹が減れば飯を食うみたいな生理現象の延長みたいなものだった。
部屋に入り先輩がベストを脱ぎ捨てればボクも同じように脱ぎ捨てる。
軋むベッドの音、少しずつ高まる吐息。
声もなくボクらは肌を重ね熱を吐き出すのだった。

今も、ボクは先輩の中で射精し、先輩もボクとほぼ同時に絶頂を極めたはずだ。
すぐに二度目に挑むにはボクは疲れ過ぎていて、とりあえずカカシ先輩の身体から退いた。
横に仰向けに寝転がって二人でぼんやりと天井を眺めていた。
脱力感を伴う空虚な時間だった。
ボクが呆れているのを全く意に介さず、カカシ先輩は勝手な妄想を続ける。
「もしかしたら木遁が受け継がれるかもしれないし、まあ木遁はともかく、お前の子供だったらきっと多彩だろうし、俺が英才教育ほどこしてやるよ。エビスみたいにさ」
「はあ……」
ボクの子供?
そりゃあ結婚したからには子供が出来ることも想定内だったが、まだピンと来なかった。
ボクの子供ねぇ……
その未知なる生き物が出来たとして、先輩が育てるだって?
やっと頭が働き出し、想像しかけてみたが、その途端に全身がそそけだった。
桑原、桑原だ。


「いやですよ。先輩になんか育てられたら」
鳥肌が立たんばかりの状態で、ボクは真剣に断った。
「失礼だね。俺はエリート上忍師だよ。ナルト、サクラ、サスケって言う立派な弟子を育て」
「あー、あれは、三忍が師匠じゃないんですか……うっ……」
横から肘が伸びて来て鳩尾にエルボーを食らわされてボクは潰されたカエルのように呻いた。
これは禁句だったかもしれない。
ボクを潰して置いて先輩は何食わぬ顔で元の姿勢に戻っている。

「先輩、子供欲しいんですか?だったら、先輩も結婚したらどうですか?ボクのことを心配するより、はたけ家の血を残すことでも考えた方がいいですよ」
ボクは鳩尾を摩りながら、話題を反らす。
「はたけの血ねぇ……もう、はたけの家も俺でおしまいだよ。お前の子の方が育てがいがありそうだし。ね、一人でいいからさ。何人か作って一人くらい俺に頂戴よ」
「頂戴って……」
ボクはますます呆れた。
犬猫じゃあるまいし、ボクの子供をなんだと思っているんだ。








11.


呆れ果てたボクは、二回戦に挑む気力も削がれてしまった。
溜め息交じりに身体を起こして、ベッドヘッドに寄りかかった。
「子供は物じゃないですしね。そんなに子供が欲しいなら四の五の言わずにご自分でどうぞ」
先輩はシーツを身体に巻きつけてごろりと横向きになり、下から気だるげにボクを見上げている。

「先輩なら、幾らでも相手は見つかるでしょう。結婚なんてしてもしなくても、子供だけでも生みたいって女は沢山いるんじゃないですか」
カカシ先輩自体も魅力的だし、優秀な忍びの遺伝子が欲しいって言う女も沢山いるだろう。
「お前も随分、酷いこと言うねぇ」
片眉をやや跳ね上げて嫌そうに返すが、酷いだなんて先輩には言われたくない言葉だ。
どっちが酷いと言うのだ。
互いにモラルもデリカシーも持ち合わせていないのは一緒だろう。

「今更、女も面倒臭いしねぇ」
先輩は元々、男も女もいける癖にそんな事を言う。
だったら男関係は?
先輩は女にももてるが、男にもやたらもてる。
今もボク以外の男をとっかえひっかえしているのだろうか。
「男は面倒臭くないんですか」
「いや男も面倒臭いよね」
だったらボクは……と喉まで出かかった言葉をまた飲み込んだ。
そんなことを聞いてどうなる。
多分、ボクは先輩にとって後腐れの無い、都合のいい後輩と言うだけだ。
わかりきったことだが、改めて先輩の口からそう告げられれば、自分が傷つくだけだ。
それに、こう言う話しこそ面倒臭いの代表だろう。
ボクは、この曖昧な関係をわざわざ自分から壊す勇気は持ち合わせていない。



「ま、そう言うわけだから、お前の子供を育てられたら一石二鳥ってわけじゃない」
「何がそう言うわけなのか、一石二鳥なのかわかりませんよ」
全くわからない。
ボクにはカカシ先輩の考えはわからない。
ボクの子供だから欲しいとでも言うのか。
子供さえも差し出す都合のいい男だと思われているのか、試されているのか。
と思う側から、ボクはカカシ先輩がこんな風に人を試したりするとは思えなかった。
試される程の価値を、ボクに見出しているとは思えないのだった。
これも単なる気まぐれだろう。
それともボクの反応を見て楽しんでいるピロートークの一種なのだろうか。

「しかし先輩がそんなに子供好きだとは思いませんでしたよ」
当たり障りない方向へ話を反らしてみようと試みたのだが……
「子供はいいよねぇ、未来がある」
「未来ですか」
それに対するカカシ先輩の答えは、やけにしみじみとしたものだった。
確かにカカシ先輩は、里の子供たちに、若い芽に、未来を引き継ぐために必死で戦ってきた。
自分の未来ではなく、里の未来ばかりを考えて生きて来たと言っても過言ではないだろう。
自分のことは二の次で……
そう、カカシ先輩ほど献身的に里に尽くす忍びをボクは知らない。

そんなカカシ先輩の前では、里や子供が絶対であり、守るべきものであり、それ以外の物事も感情さえも取るに足らないことなのだろうと、ボクはずっと思って来た。
愛だの恋だの、そんな些細な感情に囚われることもないのだろうと思って来た。
そんな人だから、他人から向けられる感情などにはも向きもしないのだろうと思って来た。
ボクの感情がカカシ先輩に届くことはないだろうと……
ボクは絶対に手に入らないものを欲しがるほどマゾヒスティックな人間にはなれなかったのだ。


だが、ともかく世界は、そして里は平和になった。
だったらカカシ先輩も、そろそろ自分のためだけに生きてもいいのではないだろうか。
自分で子育てがしたいと言うのが本当に望みなら、子供を作ったらいい。
自分の子供を育てたらいい。
幸せと言うものがあるのなら、それを掴んだらいい。
手に入るような欲しいものがあるのなら、手に入れたらいい。


「でしたらカカシ先輩も、そろそろ自分の好きなことをしたらいかがですか。自分のために生きてもバチは当たらないと思いますよ」
カカシ先輩は驚いたように瞬きをし、次には軽く吹き出した。
「なっ、ボクは真剣に!」
「だってお前にそんなこと言われるとは思いもしなかったよ」
カカシ先輩は意外な事のように言うが、ボクはこの人の幸せを真剣に願っている。
誰よりも願っている。
世界で一番、この人の幸せを願っていると言っても過言ではないと思う。
ボクがいないどこか遠く離れた戦場に先輩が出向いていると聞けば、必ず生きて戻って来て欲しいと願ったものだ。
今頃、野宿をしているだろうかと思えば、明日と言う日のために、少しでも安らかな眠りを取れていればいいとさえ願った。
少しでも暖かな寝床があればいい、暖が取れなくとも少しでも雨風のしのげる寝床にありつけていればいい。
食事が取れているだろうか、少しでも腹の足しになる物があるだろうか、チャクラは足りているだろうか……
ボクは離れていればいるだろこの人のことを思っていた気がする。
食事でも睡眠でも、子供たちの笑い声でも、イチャパラの新刊でも、この人が、少しでも、例え一瞬でも何か幸せだと感じる時間があればいいと、いつだって願っていた。

そして……
そんな思いと全く同じ重さで、ボクは、この人がボク以外の 誰かと幸せになることを恐れていたのだ。
そんな事はあろうはずがないと信じていたのだ。
この人は、本気で誰かを望んだりすることはないだろうと、信じこもうとしていたのだ。
哀れな男だった。
全くの偽善者だ。
そんな思いは全て見抜かれているのだと思う。
写輪眼など使わなくとも、カカシ先輩には、つまらない男の卑屈な思いなど、お見通しなのだと思う。





そんな与太話をカカシ先輩としたすぐ後のことだった。
「ね、ヤマト、私、赤ちゃんが欲しいの」
久しぶりに戻った家で、ボクの胸の中で妻のスミレが呟いた。
疾しい事のあるボクは、妻にも全てを見透かされているのではと冷や汗をかく思いだったが、夫婦だったら普通の会話だろう。
カカシ先輩との会話が異常だったのだ。
頭に浮かんだカカシ先輩の顔を振り払い、ボクは柔らかな妻の髪を撫でた。

「ヤマトが留守がちでも、子供がいたら寂しくなくなると思うの。ヤマトは男の子と女の子と、どっちが欲しい?」
「そうだなぁ……ボクはどっちでも構わないよ」
ボクは、自然と模範的な答えを口にしていた。
髪から香る甘い匂い、ボクの胸にすっぽりと収まる細い身体、柔らかな胸。
これは誰だ?
これは女だ。
ボクの妻だ。
妻がボクらの子供をねだっている。
結婚した男女が子供の話をする。
これはごく普通のことだ。
スミレとの結婚を意識した時、漠然とではあるが子供のいる未来も想定したではないか。
仲間睦まじい夫婦に自然に宿るならば、男の子でも女の子でも、どちらでも構わない。
これもごく普通のことだろう。
だがカカシ先輩はどちらを育てたいと思っていたのだろうか……
カカシ先輩はボクの子を……
男の子だったらボクのように?
いや、ナルトやサスケのように?
女の子だったらサクラのように?
カカシ先輩は……
カカシ先輩は……
『お前の子、頂戴よ』
『お前の子、俺が育ててやるよ』
カカシ先輩の声が顔が頭の中に蘇って来る。
振り払っても振り払っても、繰り返し繰り返しカカシ先輩の声がする。
ボクはたまらず頭を大きく一振りした。


「ね、ヤマト?どうしたの?」
ボクの不可解な行動にスミレは不思議そうな顔で顔を覗き込んで来た。
「いや、なんでもないよ。ボクに似るより君に似た子供の方が、きっと可愛いだろうなと思っただけだよ」
「私はヤマトに似た男の子が欲しいなぁ。お目目がくりくりしていて可愛わよ」
ボクの鼻の頭に鼻をすりよせて、スミレは笑う。
ボクに似た子供……
ボクの子供は木遁を引き継ぐだろうか。
数少ない血継限界だとしたら、同じ血継限界の上忍師が育てるのだろうか。
血の繋がった実の父よりも、他人に任せたるのが妥当だろうか。
やはり里一番のエリート忍者である先輩が?
カカシ先輩が、本当にボクの子を?
まさか……
まさか……
まさか……
頭の中でガンガンと警鐘が鳴り響く。
目眩がする。


「ヤマト?ヤマトってば、本当にどうしたの?」
「ごめん、今日は疲れていて……」
一気に疲れが身体に押し寄せてきた気がした。
甘い匂いが鼻を突く。
吐き気がする。
ボクは妻の身体をやんわりと押しやった。
その日ボクは、とても妻を抱く気になれなかった。


そしてその日以降、ボクの足は、任務が忙しいのも相まって、中々家には向かわなくなってしまった。
無理をすれば帰れるような時でも、待機所の仮眠室を選ぶこともあれば、先輩のベッドを選ぶことも多くなった。
家に帰ろうと思う心と足に、何か重い枷が嵌ってしまったような気がするのだった。








12.


訓練生たちも、特訓に次ぐ特訓を経て、少しは使えるようになって来た。
暗部に残すべきか最後までカカシ先輩と意見が対立していた村野ジゾウも、どうにか様になって来たようだった。
今日は現役暗部を敵になぞらえた実戦形式の訓練を演習場のあちこちで行っていた。
ボクは演習場の木に同化し、密かに訓練生たちの仕事ぶりを見学していた。
ボクの隠密行動は誰にも気づかれない。

今、ボクの目の前では、ジゾウを含むスリーマンセルが、現役暗部相手になかなかいい勝負をしていたが、惜しくもジゾウが捕まり勝敗はついた。
捕まりはしたがまあ合格ラインだろう。
訓練生はへとへとになって地べたに座り込む。
現役暗部はまだまだ余裕綽々で、訓練生を労うと談笑しながらスタート地点に戻って行った。
ボクも、別の組の演習を見に行こうとその場を離れようと思ったのだが、地べたに座り込んでいるジゾウがポケットから取りだしものが、キラキラと光り、それがふと気になって移動を止めた。

ジゾウが取り出したものは、金属の鎖のようなものだった。
女性向けの腕輪だ。
ボクは一瞬でそう判断した。
ボクは女性の装飾品に詳しいわけではなかったが、その形状に見覚えがあったのだ。
ジゾウが手の中で弄んでいる銀色の鎖は小さな音を立て、光を反射してキラキラと光っている。
それは鎖を複雑に編んで所々に小さなコインがぶら下がっている腕輪だった。
ジゾウはその鎖に愛しそうにキスをした。
なぜ、ジゾウがあの腕輪を?


「なんだよ、それ。そんなもの持って訓練かよ」
俯いて息を整えていたスリーマンセルの一人アミガサがようやく復活してジゾウの行動を身咎めて突っ込んで来た。
「へへー、いだろー。マイスイートハートに貰ったのさ」
「ほんとかよ」
アミガサは疑わしそうにジゾウの手元を覗き込む。
「勿論だとも。俺様の熱烈な愛に答えて、自分の身代りにってくれたのさ」
ジゾウは得意満面の顔をしている。
「信じらんねーなー。ほんとかよ。お前、妄想は止めとけよ、虚しいぞ」
余程信じ難いことなのか、アミガサはかなり失礼な物言いをしている。

「いやいやそれがホントなのよ」
そこに、大の字になって寝転がっていたミロクが、勢い良く起き上って話に加わって来た。
「ほんとに、まーったく信じられない話だけどさ。こいつがあんまりしつこいものだからさ。情けを掛けて、その時、身に付けていた物をくれたんだとさ」
「うへっ、ほんとかよー」
アミガサは驚きに目を丸くした。

「嗚呼、あの人は全くもって強くて美しくい慈悲深い神様だよ!俺は一生ついていくぜー!」
ジゾウは芝居がかった調子で銀色の腕輪を胸に押し当てた。
「ほんとにホントなのかよ。そりゃすげーなー。ぶったまげたぜ。でもあれだよな。だったらヤマトさんの耳には入らないよーにしといた方がいいぜ」
アミガサの釘をさすような忠告を聞き、浮かれていたジゾウは、はたと我に帰りやや青ざめた。
「やっぱ?やっぱそう思う?ヤバイ?俺、ヤバイかな?」
ジゾウは、今ボクが本当にこんなに側にいるなどとは夢にも思っていないだろうに、そわそわと周りを見回したりしている。
「そりゃ当たり前だろ。ヤマトさんに知られたら絶対いい顔はしないだろうな。それこそお前、目の敵にされるんじゃないか?」
ミロクが楽しそうに横やりを入れる。
「そうそう、訓練が倍になったりして。殺されないようにしろよー」
「うへー、ただでさえヤマトさんの訓練はきついのに、これ以上扱かれたら、ほんとに死んじまうよ〜」
「だったら演習中にそんなもん見せびらかしてるなって。さあ、俺たちもそろそろ戻るぞ」
ジゾウは、もう一度愛しそうに腕輪のキスをするとポケットにしまい、三人はスタート地点に戻って行った。




あの腕輪は、ボクが妻にプレゼントしたものだ。
結婚前、デートの途中に、たまたま寄ったアンティークショップで、妻が一目見て気に入ったのだった。
店の主人は、異国の古い銀貨を使った珍しい品で、一点ものだと言っていた。
普段つけるには結構邪魔になりそうな代物で、スミレは出掛ける時などにしか使わず、いつもは寝室に置いてあるアクセサリーボックスの中に大事にしまっていたはずだ。

たまたま似た腕輪だったのだろうか?
だったら、なぜ、ボクの名前が出て来る?
ボクに内緒にしなければならないのはなぜだ?
まさか妻がジゾウが?
今、目撃した情報から導かれる結論は、ボクの平凡な頭では一つしかなかった。
ボクは哀れな寝取られ男と言うことだろうか。


スミレとジゾウに接点があったとは、俄かには信じられなかった。
だがスミレは、甘味処の看板娘だったのだ。
スミレ目当ての客はいっぱいいた。
ジゾウもその中の一人だったのか。
そして人妻になってまで思い続け口説き続けていたと言うのだろうか。

現役暗部の連中も除隊した連中も訓練生も、暗部に関わる奴らは皆、カカシ教の信者みたいなものだった。
ジゾウは今期の訓練生の中でも、ずば抜けてカカシ信者だった。
カカシ先輩の姿を見つけては犬のように尻尾を振って纏わりつき、口を開けばカカシさん、カカシさんと喚いていた。
偉大なる先輩への尊敬の念と、女への恋愛感情とは違うものだとは思うが、今現在の彼に、恋に現をぬかすような暇も余裕もあるようには見えなかった。

普段のジゾウはやかましくて、何事もあけっぴろげな男だったから、女に恋をしていたならそのことも、吹聴して回りそうだとは思う。
秘めた恋とは無縁そうな男だ。
だが、人妻……ましてボクの妻に惚れていることまで、あけっぴろげだったのか?
アミガサのやミロクも、当たり前のようにジゾウの相手のことを知っているようだった。
ミロクは、ジゾウがあまりにしつこいから、相手が情けを掛けて腕輪をくれた、とまで言っていた。
と言うことは、不倫と言うよりも、ジゾウの熱烈な片想いだと言うことだろうか。
だとしても、スミレはよりにもよってなぜボクがプレゼントした腕輪を与えたりなどしたのだろうか。


ボクは何をすべきなのか……
ジゾウを問い詰めるべきなのか、スミレに直接聞くべきなのか。
だが、まだあの腕輪がスミレのものだと確定しているわけではないだろう。
あれが本当にスミレの物なのかどうか、確かめるのが先決だろうか。





つづく






2014/07/02〜




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