暗部時代のテンカカ   ある日、ある時、ある一瞬。








紫陽花














任務が首尾よく終わり、待ち合わせのその場所に辿りつくと、既にカカシ先輩は到着していた。
森の中、目印の大木の下、先輩は木に寄りかかり腰を下ろしていた。
その大木の周りには、人の丈ほどもある野生の紫陽花群が見事に咲き誇っていた。
先程までしとしとと降り続けていたこぬか雨に濡れて、紫陽花は生き生きと色付いていた。
青紫の紫陽花の花に囲まれたカカシ先輩は、しっとりと濡れた銀色の髪と相まって、まるで水彩画から抜け出て来た人のようだった。



目の前に降り立ったボクを見て、先輩は面を外した顔をボクに向け、僅かに目元を綻ばせた。
ボクもただ黙って頷き返した。
作戦成功の有無を問う必要もない。
互いの安否を気遣う必要もない。
ここにこうして戻って来たと言うことが、全てを物語っていた。



「雨、止みましたね」
先輩は疲れているのか、すぐに立ち上がる気配は無さそうだったので、ボクも面を外しながら隣に腰を下ろすことにした。
慣れているとはいえ、こんなにじめじめした蒸し暑い日には、面を外すとほっとする。
ようやく息が吸えるような気がする。
互いの剥き出しの肩が触れるか触れないかの距離に座ると、カカシ先輩の体温がじんわりと伝わって来るようだった。
先輩は、面だけではなく暗部特有のグローブも外していた。
暗部服も、肘まである特製のグローブもカカシ先輩には良く似合っているが、グローブはカカシ先輩の技には向かないようだった。
千鳥を発動する度にグローブは使い物にならなくなる。
度々、既にカカシ先輩を目にしたことはあるが、二の腕までもが露わになっている姿は、いつ見ても目に毒だった。
いつもは硬質な感じがする目に痛いほどに白い肌が、湿度を孕んでとても柔らかく見えていた。


「蒸し暑いですね」
この梅雨の時期は湿度が高く本当に蒸し暑いのだが、それだけではない熱っぽさを感じて、ボクは何かを取り繕うように呟いてみた。
いつもならボクは里に戻るまでグローブを外さないのだが、今日は本当に暑い。
先輩の白い腕に触発されるようにボクもグローブを脱いだ。
「蒸し暑いな」
カカシ先輩も疲労の滲んだ声で返事をして、ほぅ…と小さな溜め息をつき、白い手で気だるげに銀色の髪を掻き上げた。
その途端に、覚えのある匂いがふわりとボクの鼻孔を擽った。
カカシ先輩の汗の匂いだった。

カカシ先輩は普段、あまり汗をかかない。
汗をかかないと言うより、汗も体温さえもコントロール出来るようだった。
それでも本当にごく稀に、カカシ先輩の汗の匂いと言うのだろうか、僅かな体臭が感じられる事があった。
それは、こうして触れ合うほど側近くに控えている時だったり、頭を突き合わせて作戦の指示を受けている時だったりする。
カカシ先輩が、こんなにも近くにいると言う喜びを実感する瞬間でもあった。
カカシ先輩が、ボクの側にいる。
ボクは、触れられそうなほど、側にいることを許されている。
そう思うだけで、ボクの心は大きく揺さぶられる。
その度に、ボクの身体は激しくざわめくのだった。

思えば、幼かったボクの目の前に、最初からカカシ先輩はまるで神のように存在していた。
そのカカシ先輩の生の匂いを初めて意識した日、それはボクに激しい衝撃をもたらした。
ボクにとって憧れであり指標であり、手の届かぬほどの高みにあったカカシ先輩が、ボクと同じ生身を持っていると、初めて意識した瞬間だったろうか。
そして、その日を境に、カカシ先輩の匂いは、ボクの中枢を妖しく狂おしく刺激し続けることになった。
カカシ先輩の匂いに触れる度、ボクの脳みそは沸騰するのではないかと言うほど、煮えくりかえり、下肢に血流が集まって行くのを止められなかった。
僅かな汗の匂いが、生のカカシ先輩を連想させる。
鼻孔を擽る体臭が、ボクの性を刺激する。
そして、それはいつも不意にやって来るのだった。



今も、ボクはカカシ先輩の匂いに一瞬にして血を滾らせた。
意識せずとも突然渦巻いた奔流にボクの身体は震え、毛穴と言う毛穴から汗となってリピドーが噴き出すような気さえした。
慄くように揺れた肩が、カカシ先輩の肩に触れた。
ぬめりを帯び、じっとりと汗ばむ肌と肌が接触し、それはひっそりと吸いついた。
カカシ先輩は、その濡れた感触を嫌うように僅かに身体を引いた。
「カカシ先輩!」
次の瞬間、ボクは飛びかかるようにカカシ先輩の両肩を押さえていた。
カカシ先輩は動じずに、五月蠅げな視線でボクを見た。
そんな瞳に負けじと、大木に先輩を強く押し付けた。
「テンゾウ、暑苦しい」
そのまま圧し掛かろうとするボクの耳に、冷めた声が届く。
じっとりとした汗ばんでいる掌が、カカシ先輩の尖った肩に貼りつく。
先輩の汗が直に伝わって来る。
カカシ先輩の体内から吹き出た汗だと思うだけで、目眩がしそうだった。


「カカシ先輩」
先輩の名を呼ぶボクの声は、おかしいほどに熱っぽかった。
熱っぽい癖に、今日の天気のように仄かに暗くじっとりと湿っていた。
うっとおしそうに先輩が首を振る。
いつもは銀の髪が乾いた音を立てるのだが、今日はただ森の緑濃い空気を震わせた。
雨に濡れた濃厚な森の匂いの中に、カカシ先輩の匂いが混じり込んで行くようだった。
そして息をする度にカカシ先輩の匂いがボクの中に流れ込み、身体中を満たして行く。
「暑苦しいって言ってる」
低いカカシ先輩の声の中に、苛立ちが忍び込む。
「カカシ先輩」
剣を含んで僅かに寄せられた眉。
額に小さな粒のように浮かぶ汗。
喉が渇く。
カカシ先輩の汗を舐め取ったら、この渇きは癒されるのだろうか。

カカシ先輩の開かれている右目だけをじっと見詰めながら、先輩の顎まで下げられていたマスクを更に引き下げた。
そして露わになった白い首筋に唇を落とした。
唇に直に感じる湿った肌と体温。
ボクの手で暴かれたばかりのぬくもりだと思うと、ボクの身体には痺れにも似た陶酔が駆け巡るのだった。
カカシ先輩の手が、ボクの頭を押し退けようと強く押して来る。
ボクは構わずに首筋にむしゃぶりついた。
ほんの少し塩っぽい先輩の味が口の中に広がった。
ボクの額からも汗が流れ落ちる。
暑くて暑くて気が狂いそうだ。
カカシ先輩の匂いに気が狂いそうだ。



「こらっ、お前、止めろって」
首筋に顔を埋めるボクに、カカシ先輩は尖った声を出して咎める。
「いいじゃないですか。カカシ先輩に触れるの久しぶりです」
「久しぶりなのはわかったから、離せ。汗、臭い」
「すみません、ボク、汗臭いですか」
やはりボクも汗臭いだろうか。
プロテクターの下は、ぐっしょりと濡れている。
「いや、お前だけじゃなくて、俺も汗臭いだろ」
「構いませんよ。先輩の匂いなら、どんな匂いでもボクには」
「ストーーップ。いいから、それ以上はいいから。お前、黙れ」
カカシ先輩の御命令通りにボクは口を閉ざし、ボクは再び先輩の首筋に顔を埋め、耳元まで味わうように舐め上げた。

「ちがーう、黙って離れろって言ってんだ。汗だの雨だの返り血だの臭いどころの騒ぎじゃないから。離せって言ってる」
「だから、ボクは気にしません。先輩の匂いなら、例え」
「俺が構うって言ってる!ちょっと、こら、どこに手をっ」
「先輩だって久しぶりなんですから、ね?」
「ね?じゃないっ!お前っ、本気で怒るぞ」
「駄目です。そんな声で言われても。ボクは止まりませんよ」
ボクは素早く先輩のプロテクターを外しにかかった。
プロテクターの下から現れた、美しい身体に目が奪われる。
アンダーが汗で張り付き、鍛え上げられ無駄のない筋肉を浮かび上がらせている様に目が釘付けになる。
あの腹筋のひとつひとつを貪りたい。
玉のように浮かぶだろう汗を舌で転がし舐め尽くしたい。


「酔狂も過ぎるぞ。何もこんな所で盛る必要が」
「愛しい人の全てを愛したいと言うのはボクの我が儘ですか」
「お前、どんな臭いドラマ見てんのよ。よくそんな臭い台詞、吐けるね」
「臭くないですってば。先輩の匂いは天国の花にも勝るかおっ」
「アホ、マヌケ!何が天国だ」
雷の性質を持つカカシ先輩の身体に電気が帯びて来た。
ボクは慌てて先輩の右手を掴んだ。
「先輩、駄目ですよ。雷切りは無理ですよ。チャクラ残っていないでしょう」
「わかっているなら離せ。俺はもう帰って寝るんだよ!」
「大丈夫ですよ、ボクが責任を持って先輩の家までお送りします。ね、だから一緒に天国に…っ…」
「勝手に一人で天国にでも地獄にでも落ちろ!」
カカシ先輩の膝がボクの鳩尾に入る。

「うっ……酷いな、カカシ先輩……」
鳩尾から折れ崩れたボクの体重がカカシ先輩に掛かり、木に寄りかかっていた先輩の身体がずるずると沈む。
思わず押し倒す形になったボクの身体と先輩の身体が密着する。
地面に顔が近づいたことで、濡れた土の匂いが強く鼻についた。
「重い、どけ」
地を這うような低い声が、重なった身体越しに、ボクの身体に響いて来る。
先輩の声がボクの骨を震わせ、骨の髄まで沁み込んで来る。
「でもボクはですね、そうですね、先輩といられれば天国です。先輩の居る場所がボクの天国です」
カカシ先輩は深い溜め息を吐き出した。
ボクはこの体勢を生かして、カカシ先輩の肌をまさぐり始めた。
じっとりとした肌を掌でまさぐれば、蒸せ返るような匂いが広がって行くようだった。
プロテクターの下、体温が急上昇して行くボクの身体からも、欲望と言う匂いが立ち込めているのだろうか。
背筋を幾筋もの汗が流れ落ちて行く。

「テン…ッ…ゾ……っ……!」
うめくようにボクの名前を口にしようとした唇を唇で塞げば、咥内もいつもより熱かった。
逃げる舌を追い掛けて絡み取る。
噛みつこうとする歯列から逃げて舌に吸いつく。
吸い上げて追い上げて行く内に、すっかりボクの方が夢中になってしまう。
内側から滾るマグマが蒸気となって全身から吹き出すようだった。
暑い……
暑い、暑い………
暑くって気が狂いそうだ。

カカシ先輩の熱がボクを狂わせる。
カカシ先輩の匂いがボクを誘惑する。
全身から汗がじっとりと噴き出す。

カカシ先輩の匂いに身も心も溺れる。
窒息しそうだ。
なまめかしい匂いに酔い潰れそうだ。
「カカシ先輩……」
「………っ………」
カカシ先輩の吐息に甘さが混じり始める頃、再びこぬか雨が降り出し、辺りを覆う紫陽花の花の香りが一段と強まった。







end








あとがき
テンゾウは、どんなカカシ先輩でも好きだし、カカシ先輩のどんな所も愛していますよね!
管理人も、どんなにテンゾウがカカシ先輩の事を好きか!って言うのを、マニアックにフェチ気味に書くのが大好きです!
テンゾウの目を通したカカシ先輩ってのが、物凄く魅力的なんですよね!
筆力が無く書き尽くせないのが残念ですが!

いつもはもっとストーカー気味な?暴走気味な愛情を迸らせる当サイトのテンゾウですが、
じっとりとした思いを秘めた感じもテンゾウらしいと思い、
梅雨時のじめじめした空気に合わせてじわっと蒸し暑い癖に、淡々とした雰囲気のお話を書いてみたかったんですが、
割と無謀な試みでした(汗)じっとりならじっとりらしく、何故そう言うエロに流れなかったのか……

相変わらずタイトルをつけるのが苦手で、書いている最中の仮タイトルはズバリ「蒸し暑いテンカカ」でしたが、
それじゃあ、あんまりなので、お花の名前をつけてみましたが、もうチョイひねりは無かったのか!と自分で突っ込んでおきます。
ちなみに紫陽花の花言葉は、
「移り気」「高慢」「無情」「冷酷」「浮気」「自慢家」「変節」「辛抱強い愛情」「元気な女性」「あなたは美しいが冷淡だ」「あなたは冷たい」
だそうです。
紫陽花は食べると、過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などの症状が出る中毒を起こすそうです。
紫陽花は匂いませんが、ラスト、「紫陽花の花の香りが」と書いてあるのは小説上のメタファーです(笑)
あそこで、ぎゅーっと濃縮された先輩の諸々を感じとって頂きたい!


2011/05/23




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