イルカカ   奥さまは写輪眼






団地妻カカシさん

   




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5


カカシさんは「はたけカカシ」から「うみのカカシ」になった。

カカシさんが嬉しそうに「今日からうみのカカシです」と挨拶をする度に、言われた方は酷く複雑そうな顔をする。
突っ込み辛い気持ちはよくわかる……
そして、二人のスイートホームは、木ノ葉の住宅街に建つ古い団地の三階の一室。
お世辞にもお洒落とは程遠い建物だったけれど、一目見て、カカシさんは大層気に入ってくれた。

それまで俺の住んでいた部屋は中忍の独身寮だったし、カカシさんの住んでいた部屋も上忍の独身寮だった。
結婚したらどこに住もうかという話になった時も、カカシさんは「普通」にこだわった。
ごくごく普通の新婚さんが初めて住むに相応しい家。
確かにこの団地はファミリー向けで、単身者は入れない。
狭くて薄暗い階段も、塗装の剥げたドアも、靴箱が壁に貼りつくような狭い玄関も、狭い台所も、狭い風呂も、カカシさんに言わせれば、何もかも「可愛い」らしい。
カカシさんのツボは、時々、俺には理解できないが、カカシさんが幸せならそれでいい。
ともかく、気に入ってくれたなら良かった。
カカシさんが贅沢な人でなくて、本当に良かった。

そう、カカシさんは決して、贅沢な人ではなかったけれど……




「ただいま、カカシさん」
「お帰りなさい、イルカ先生」
今日はカカシさんの方が早く帰宅していて、俺を出迎えてくれた。
自宅に帰ると、待っていてくれる人がいる幸せ!
マスクを外した素顔で、にっこりと笑って迎えてくれるカカシさんの笑みを見る度に、俺は結婚した幸せを噛みしめる。

そして、愛しい人と、一緒に食卓を囲む幸せ。
「イルカ先生、お疲れさまでした。一杯、いかがですか」
とカカシさんが言いながら、どんっとテーブルの上に一升瓶を置いた。
日本酒党の俺のために、カカシさんは晩酌に日本酒を用意してくれていた。
本当に気がきく優しい奥さんだ!
俺は日本酒は生のまま飲むのが好きだったから、そのままコップに注いで貰おうとコップを手に取り、ふと一升瓶のラベルを見て、固まった。

「そ、それは、もしや……」
「あ、わかりましたかー。イルカ先生に飲んで貰いたくってー」
カカシさんは、にこにこと嬉しそうな笑みを浮かべたまま、いつものようにおっとりとした口調で言うが、俺は二の句が継げなくて、アホみたいに口をパクパクさせてしまった。
だ、だって、それは!
幻の名酒『忍び殺し』ではないか!
幻と言うだけあって、飲んだことはもちろん、見たともなく、噂で聞くのみの本当に幻の酒だった。
無論俺だけではなく、俺の同僚、友人、知人だって、これを飲んだと言うものはいなかった。
飲み会の時になど、たまに話題に上る程度の、殆どの人間にとって幻と称される伝説の酒だった。
そ、それがどうして我が家に?

「イルカ先生、飲んでみたいって言ってたでしょ。知り合いのツテで手に入れたんですよー。ささ、一杯、ぐーーっと」
呆然と持っていた俺のコップにカカシさんはなみなみと日本酒を注いでくれた。
言われるままに俺は、ぐいっと酒を煽った。
「美味い!」
酒は、この世のものとは思えぬほど味わい深かった。
こんな酒を手に入れられるなんて、流石カカシさんだ。
有名人の奥さんを持つって、素晴らしい!
俺は、俺には出来過ぎた奥さんを貰った幸せを、美味い日本酒と一緒にしみじみと噛みしめた。




「ただいま、カカシさん」
「お帰りなさい、イルカ先生」
自宅に帰ると、待っていてくれる人がいる幸せ!
そして、愛しい人と、一緒に食卓を囲む幸せ。
今日の食卓には、どどーんと舟盛りの刺身が乗っていた。
「イルカ先生、お刺身好きでしょ?これ、水ノ国はオーマの里の高級マグロなんですよー」
オーマの里のマグロだって?!
マグロ通の憧れの港、オーマ!
元々、海の無い木ノ葉の里では、新鮮なマグロは滅多に手に入らない貴重なものだった。

「ど、どうしたんですか、これ」
「水ノ国から戻って来る知り合いがいたので、ちょっと御土産にお願いしたんですよー」
「お願いって……」
そんな簡単に持って帰れるものじゃないだろう。
しかも生のまま。
「水遁系の忍者だから、ほら、ちょこちょこっと術をね。そんなことより、ささ、先生、食べて、食べて、あーん」
カカシさんはいそいそと箸でつまむと、ちょいとワサビ醤油につけて、俺の口にあーんしてくれた。
あーんして食べさせて貰うこともさることながら、マグロの美味しいこと!
マグロは蕩けそうなほど美味しかった。
こんなに美味いマグロ食べたの生まれて初めてですよ!
流石、カカシさん、やっぱり顔が広い。
俺はこんなに顔の広い奥さん貰った幸せを、蕩けるマグロと一緒にしみじみと噛みしめた。




「ただいま、カカシさん」
「お帰りなさい、イルカ先生」
自宅に帰ると、待っていてくれる人がいる幸せ!
そして、愛しい人と、一緒に食卓を囲む幸せ。
「うわー、美味そうなお肉ですねぇ」
「でしょ。これ、火ノ国牛なんですよー」
「えっ、火ノ国牛ですか!」
火ノ国の牛肉と言えば、百グラム千両はくだらないと言う超高級品だった。
しかも、こんなに分厚いステーキ、いったい幾らくらいするんだ?
とことん庶民の俺は、美味そうだと思うより先に、悲しいかな先ずは値段が気になった。

「こ、これ、高いんでしょうねぇ?」
「そんなに高くなかったですよー。やっぱり知り合いのツテで、お安く手に入りましたー」
って、カカシさんの言う、お安くと言うのは一体全体、いかほどでしょうか。
「はい、イルカ先生、あーん」
カカシさんはまるでクナイ捌きのように素早くナイフを閃かせ、美しく切り分けた肉を、俺にあーんしてくれた。
俺は恐ろしくって値段を聞けないまま、肉汁の染みた美味い肉を飲み込んだ。




「ただいま、カカシさん」
「お帰りなさい、イルカ先生」
自宅に帰ると、待っていてくれる人がいる幸せ!
そして、愛しい人と、一緒に食卓を囲む幸せ。
「うわー、どうしたんですか、この松茸!」
今夜は見たことのないような松茸尽くしの料理だった。
知り合いに松茸の生える山を持っている人がいるなんて、羨ましい限りですよ、カカシさん。
箸で崩しても崩しても松茸が出て来る、御飯より松茸の方が多いと言う素晴らしい松茸御飯に俺は思わず噎せ返るのだった。




「ただいま、カカシさん」
「お帰りなさい、イルカ先生」
自宅に帰ると、待っていてくれる人がいる幸せ!
そして、愛しい人と、一緒に食卓を囲む幸せ。
「ね、イルカ先生、たまにはワインでもいかがですかー」
えっ、このワインってもしかして、ヴィンテージというものじゃないですか……
しかも俺の年よりもカカシさんの年よりも古いんじゃないです?




「ただいま、カカシさん」
「お帰りなさい、イルカ先生」
自宅に帰ると、待っていてくれる人がいる幸せ!
そして、愛しい人と、一緒に食卓を囲む幸せ。
今夜のこれは、いったいどこの国のなんて言う食べ物なんですか?
カカシさん、俺には想像もつきません。
カカシさん、俺には値段の想像もつきません……




「ただいま、カカシさん」
「お帰りなさい、イルカ先生」
自宅に帰ると、待っていてくれる人がいる幸せ!
そして、愛しい人と、一緒に食卓を囲む幸せ……
そう、幸せを満喫しているはずだったが、毎日、毎日、幻と言われる酒や肴、見たことも食べたこともない高級食材が並ぶ食卓に、俺の貧乏な舌はついていけなかった。
美味しいものも美味しいと感じられなくなって来ていた。


「これ、もしかしてフカヒレスープですか?」
「そうですよー。イルカ先生、ささ、冷めない内に召し上がれ」
俺は目の前のフカヒレスープを見詰めて、溜め息をついた。
「あ、もしかして、イルカ先生、フカヒレはお嫌いでしたか?」
いえ、嫌いではないです。
と言うよりも好きか嫌いかと考えたこともない、あまり馴染みのない食材です。

「これどうしたんですか?また、知り合いに頼んだんですか?」
「ええ、知り合いに融通して貰ったんですけど、何か?」
「いつも知り合い知り合いって言いますが、いつもこんな高級なものばかり申し訳ないと思いまして」
「大丈夫ですよー。ほんと、知り合いと言っても、みんな気の置けない奴らばかりですから」
カカシさんの言う知り合いと言うのは、多分、暗部時代の後輩達の事だろう。
彼らはカカシさんが正規部隊に復帰した今でもカカシさんの事を激しく慕っている。
慕っていると言うよりも、尊敬し崇拝しているようだったから、カカシさんの頼みなら、どんなことでも聞くだろう。

「でも、俺にとっては知らない方ばかりですし、度々では申し訳ないです。無理を言っているのではないですか?」
「大丈夫ですよー、ちゃんと代金も払っていますし」
「購入しているってことですか?」
「そうですよー。あ、だけど、お安くして貰っていますから!」
「安いって……じゃあこれは、どのくらいするものなんですか?」
「一キロで……」
カカシさんの答えた値段は恐るべきものだった。
しかも……
「一キロですか?」
キロ単位で買うものなのか?

「あ、イルカ先生、お嫌いなら、返して来ますね。返品も受け付けてくれると思いますから、大丈夫ですよ。無駄にはなりません!」
「そうじゃないんです。カカシさんは、これ好きなんですか?」
「俺は、特に好き嫌いはないですし……」
「俺もです」
「だったら……」
「もっと普通の食事で大丈夫です」
「普通の?」
「はい、そこのスーパーで売っている食材で作れる普通の料理で充分です」

「カカシさんは、俺と結婚する前も、毎日、忍び殺しを飲んで火ノ国牛を食べて、フカヒレスープを飲んでいたりしたんですか?」
「ま、まさか、俺、そんなグルメじゃないですし、そんな時間もありませんでしたよ」
「だったら、今まで通りでお願いします」
「俺、ただ、イルカ先生に美味しいものを食べて貰いたいと思って」
「カカシさんのお気持ちは充分伝わりました。ですから、これからは普通の食材でお願いします。酒も、俺は飲めりゃなんでもいい口です」
「わかりました」と呟くカカシさんは、ほんの少ししょげてしまったけれど、庶民的な生活って言うものに慣れて貰わないとならない。
「俺はカカシさんと一緒に食べられるなら、例えお茶漬けでも嬉しいんですよ」
そう言うと、カカシさんは、ようやく笑ってくれた。


そして次の日からは、超高級食材や、名酒や、ド派手な料理が並ぶことはなくなった。
普通の焼き魚だの、豆腐の味噌汁だの、生姜焼だの、これぞ庶民の食卓と言うものに変わった。

そう、料理はやっと庶民レベルに変わったが……








6


「カカシさんは、本当に秋刀魚が好きなんですねぇ」
「ええ、昔から大好きなんですよ。こうしてイルカ先生と大好きな秋刀魚をゆっくりと食べられるのは幸せですねぇ」
あれ以来、食卓には秋刀魚がよくのぼった。
カカシさんの大好物だと聞いて、俺も好きですよ、と答えたからだろう。
秋刀魚に大根おろし、白いご飯に漬物、そして味噌汁があれば、俺には御馳走だ。

「大好きだったんですけどね、一人暮らしが長かったし、家で秋刀魚を焼く機会なんてあまりありませんでしたから」
カカシさんは美しい箸使いで綺麗に魚を食べる。
食べている姿も美しいなんて、なんて素晴らしい人なんだ。
カカシさんの一挙手一投足は、いつ見ていても、いや、見ても見ても見飽きない。
美しい人を見ながら食べると、美味しいものが更に美味しくなると言うことを、俺はカカシさんと暮らし始めて発見した。
「それに秋刀魚なんかおちおち焼いているような時間もありませんでしたし……」
だから、俺は、そう言って笑うカカシさんの表情が僅かに曇ったのを見逃さなかった。


「どうしました?」
「俺、明日、ちょっとややこしい任務が入ってしまいまして……」
「ややこしい?」
「夕飯の時間までに帰って来られないかもしれません……。夕飯の支度が……」
なんだ、そんなことか。
そうだよな、カカシさんはパートタイマー忍者になったと自称しているが、カカシさんほどの忍者をパート扱いにしておけるわけはない。
今までは、新婚さんだからと特別な計らいで、ランクも低く日帰り可能な任務に振り分けられていたが、そろそろ本復帰させられる頃だろう。
仕方のないことだった。
俺だって、カカシさんにご飯を作って貰い、カカシさんに出迎えて貰える日々が、ずっと続けばいい……
なんてことを思わないわけでもなかったが、それは夢みたいな話だと言うこともわかっていた。
カカシさんを家庭だけに縛り付けておけないことくらい承知していた。
むしろ、俺の方が、カカシさんを支えてやらなければと思っていた。

今までだって、家事は分担しようと何度も言っていたのに、カカシさんは嫁の立場にこだわって、自分でやりたがった。
実のところ俺達は男同士だし、嫁も何もないとは思うんだけれど、カカシさんは俺の嫁になったと言うスタンスを崩さない。
これも最初に俺が言った言葉の所為だと思う。
「俺が欲しいのは家を守ってくれる嫁さんです」とか俺は言ったんだと思う。
そしてカカシさんは、自分は嫁でも婿でも構わないと言ってくれたから、交際はスタートしたんだったよな。

でも、今だったら俺にもわかる。
俺にも言える。
夫だの妻だの嫁だの主婦だの主人だの、そんな言葉の上での区別や書類上の関係なんかくそ食らえだ。
カカシさんがいてくれるだけで幸せだ。
カカシさんと家族になれたと言うことが、幸せなんだ。


「大丈夫ですよ。俺が先に帰宅したら、食事の用意をしておきますから」
「でも、もしかしたら夜中になってしまうかも……いいえ、ひょっとすると朝になってしまうかもしれません。ごめんなさい、イルカ先生」
「何を謝るんです?」
「だって食事の支度も出来ないし、一緒にご飯を食べることも出来ないし、外泊するなんて……俺、申し訳なくて……」
カカシさんは心底済まなそうにして、うるうるした瞳で謝るものだから、俺の方がびっくりしてしまった。
そんな風に思っていたなんて!
俺は夫として、家族として、愛する者として、カカシさんの不安を取り除いてやらなければ!

「何を言っているんですか、カカシさん。そんなの当たり前でしょう。俺たちは忍者なんですよ。共働きなら、普通の事ですよ」
「本当に、普通の事ですか?折角、結婚したのに、イルカ先生の御飯を作る事も出来ずに、たった一人でご飯を食べさせるなんて、普通の事ですか?」
「カカシさん、俺の父ちゃんも母ちゃんも忍者だったから、俺は随分小さい頃から、留守番が出来ましたよ」
「……寂しくはありませんでしたか?」
「全く寂しくなかったかと言えば嘘になりますが、俺は父ちゃんのことも母ちゃんの事も尊敬していましたから。俺も、いつか父ちゃんたちと一緒に任務に出掛けられる忍者になるって思っていましたから。カカシさんは違いましたか?」

「俺も、そうですね。自慢の父でした」
カカシさんはそう言って、父親を思い浮かべたのだろう、ちょっとばかり遠くを見つめる目をした。
カカシさんの父親は、あの白い牙だ。
まさに伝説の忍、白い牙の息子であると言うことはどんな気持ちなのか、俺の想像を超えるものがあったが、カカシさんはあの大戦の最中、一度死んで、父親に会ったと言う話をしてくれたことがある。
どんなに父親を愛していたか、どんなに父親を尊敬していたか、よくわかった。
白い牙だって、普通の父親だ。
伝説の忍でもなんでも、カカシさんにとってはたった一人の肉親であり父親だった。
カカシさんのたった一人の家族だったんだ。
今は俺がカカシさんの家族になりましたよ!


「カカシさんは嫁にこだわり過ぎですよ。俺たちは家族になったんです。家族だったら協力し合うのは当たり前ですよ」
「家族……」
「そうですよ、夫婦になるって、家族になったと言うことですよね。俺たちは家族なんです。ね、カカシさん。これからは食事の支度は、先に帰って来た方がすればいいですよ」
「……でも、俺が帰って来られなかったら、イルカ先生が作ってくれた御飯が無駄になります……」
「無駄になんかなりませんよ。次の日にでも食べればいいんです。カカシさんが無事に帰って来てくれればそれでいいんです」

「次の日に?」
カカシさんは不思議そうに小首を傾げた。
小首を傾げてこんなに可愛い三十台はちょっといないぞ。
「そうですよ、作り置きするのと同じですよ」
「次の日も帰って来られなかったら?」
「冷凍しておけば、いつでも食べられますよ。それからカレーなんかだと、俺は三日でも四日でも一週間でも食べ続けられますよ」
それは本当だった。
独身の頃の給料日前は、カレーが定番だったなぁ、なんてことを思い出した。
カカシさんと暮らす毎日が楽しくて、一人だった頃が随分、昔みたいに感じる。

「カカシさんはカレーを一週間食べ続けたことありますか」
「えっ、俺は、ないです」
「俺なんか、しょっちゅうでしたよ。カカシさんはカレーは嫌いですか」
カカシさんは驚きに目を瞠っている。
そんな顔もとっても可愛い。
「俺もカレーは好きでよ。でも一週間もなんて。あ、兵糧丸だけで何週間も過ごしたことはありますけど」
兵糧丸だけで何週間だって?
それこそ、カカシさんの激務が忍ばれるようだった。
俺と居る時には、家庭では、カカシさんにいつだって美味しいものを食べて欲しい。
カカシさんがそう思ってくれるように、俺だってそう思うんだ。

「まあ、一週間は大袈裟ですけどね、三日目くらいのカレーは本当に美味しいですよ」
「あ、俺も、食べてみたいです」
「だったら、今度、俺がたっぷりカレーを作りますよ。楽しみにしていてくださいね」
「はい!イルカ先生が作ってくれるカレー、楽しみにしています」
ようやくカカシさんが元気を取り戻して笑ってくれた。
ちょっと困った顔も驚いた顔もどんな顔も可愛いけれど、カカシさんの笑い顔は最高に可愛い。
俺の前で、ずっと笑っていてください。
カカシさんが笑っていてくれるなら、俺も何でもします。
飯を作るのも、カレーを作るのも楽しみです。
誰かに食べて貰うために作るのは、きっと楽しい。
それが愛しい人ならなおさらだ。








7


次の日、俺は木ノ葉マーケットでカレーの材料を買い込んで帰宅した。
団地の三階、俺たちのスイートホームのドアの前、カカシさんの忍犬のパックンがいた。
まさか、カカシさんに何か?
俺の心臓は跳ね上がった。
「よぉイルカ、久しぶりだな。と言っても結婚式以来か」
そうだ、パックン達カカシさんの八忍犬も、結婚式には参列してくれていた。
「人間と言うものは雄同士で結婚するとは奇妙なものだ。まあ、なんだ、ともかく番いになったからには仲良くな」なんて有り難い祝辞を頂いたっけ。
それよりもパックンの用事はなんだ?

「カカシさんに何かあったんですか?」
俺は勢い込んで聞いた。
「カカシからの伝言だ『今夜は帰れそうもありません、ごめんなさい』だそうだ」
「はっ?それだけですか?それをわざわざ?他には?何か怪我でもしたとか、そう言うんではないんですね?」
「カカシは元気だぞ。お主にかなりすまながっていたがな」
良かった。
カカシさんに何かあったわけではなくて、ほっとした。
ほっとして力が抜けたその後には、無性に申し訳なくなった。

「すみません。こんなことをわざわざ」
俺の膝ほどまでしかない相手だが、パックンは立派な忍犬だ。
俺は敬意を持って、彼に頭を下げた。
「まあ、拙者も、こんなガキの使いみたいなのはどうかと思ったが、新婚さんだからサービスだ。では、これにて」
そう言って、パックンはどろんと消えた。
手に提げていたスーパーの袋がずしりと重くなった気がした。
パックンは流石、懐の深い出来た忍犬だ。
そう、彼はベテラン忍犬だ。
……忍犬を家庭の伝言に使う忍がどこにいる!

翌日、俺は帰宅したカカシさんに注意をした。
「駄目ですよ、忍犬を私用に使っては」
「でも、パックンは、忍犬と言っても古い馴染みの……その、父の代から知っている家族のようなものですし……」
カカシさんが、どんなに忍犬達と仲がいいかは、わかっている。
パックン達もカカシさんのことを仲間の一人として見ているらしい。
わかっているが、
「公私混同はいけません」
俺たち夫婦のことで、人様(この場合犬様か?)に迷惑をかけてはいけないだろう。
「わざわざ伝言して貰わなくっても大丈夫ですよ。遅くなるかも知れないって言っていたじゃないですか」
「わかりました、パックンにはこう言う伝言は頼まないようにしますね」
と、カカシさんもわかってくれたようだったが……



ある日の夕方、突如としてアカデミーの職員室にカカシさんが現れた。
が、カカシさんだと思ったのは、カカシさんの影分身だった。
「カカシさん!」
影分身だとわかった途端、俺は思わず怒鳴ってしまった。
「こんなことでチャクラの無駄遣いをしないでください!」
「だ、だけど、俺、二日も帰れ無くて……イルカ先生にどうしても……」
「わかっています、わかっていますから。二日も帰れない大変な任務の最中に、チャクラを無駄にしないでください。さっさと消してください!」
「ご、ごめんなさい、イルカ先生。明日の朝には帰れますから!なるべく早く帰りますから!」
そう切々と訴えてカカシさんの影分身は消えた。
カカシさんの影分身が消えた空間を見詰めて、俺はがくりと脱力してしまった。
全く、なんて人だ。
カカシさんはただでさえチャクラが少ないと言うのに。
いや、チャクラが少ないのではなく、カカシさんの写輪眼を使う技はチャクラの消費が激しいんだ。
任務中、何があるかわからないのに……
それを……それを、こんなことに、影分身を使って!

そして、次の日の夜明け間近に、カカシさんはそっと帰宅した。
「お帰りなさい、カカシさん」
「あ、起こしてしまってごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないですよ。カカシさん、ただいまは?」
「ただいま、イルカ先生……あっ、俺、汚れていますから!」
俺は汚れを気にして抵抗するカカシさんを有無を言わさず抱き締めた。
冷えたカカシさんの身体に温もりを与えるように強く抱き締めた。
「お帰りなさい、カカシさん」
カカシさんの強張りが解け、ほっとしたように力が抜けるまで抱き締め続けた。
お帰りなさい、カカシさん。
俺の元へ帰って来てくれて、ありがとう。

「カカシさん、任務中に影分身なんかを寄越さないでくださいね?」
俺はカカシさんの背中をゆっくりと撫で続けながら、言い聞かせるように願を口にした。
眠そうな声でカカシさんが「はい」と返事をしてくれた。








8


そして、また、ある日のことだった。
俺が団地に入った途端に、どこからともなく酉の面をつけた暗部が現れて、俺の耳元に、
「カカシ先輩は、今夜は帰宅できないそうです」
と、一言囁いて風のように消えた。
誰何を問う間もなかった。
流石、暗部……じゃなっくて、おかしいだろう、これは。
ここは暗部が出没するような場所でもないし、暗部が持って来るような情報でもないだろう。
団地の薄暗い階段に取り残された俺は、しばらく呆然と立ち尽くしてしまった。


「カカシさん、なんで暗部が、あんな伝言を持って来るんですか?」
俺はまた、翌日帰宅したカカシさんに諭すように問い質した。
「え、あの、側にいたもので、つい頼んでしまいましたが……あれも駄目でしたか?」
カカシさんは自身なさげな呟くような声で聞き返して来た。
「暗部を使うような伝言ではないですよね?」
「でも暗部と言っても、知り合いですし……」
「公私混同はいけないって言いましたよね?」
「いえ、あの、任務明けの奴でしたし……好意で……」
カカシさんに対して、暗部の後輩たちがどんなに好意を抱いているかは知っている。
その好意は行き過ぎているんじゃないかと思うほどのものであることも……

「任務明けの暗部に、あんな伝言を頼むなんてなおさら悪いですよ」
「里に帰るついででしたし……あいつらには、パックンよりも迷惑なんてことはないですから」
暗部はカカシさんにとって忍犬以下かよ。
まあ、カカシさんにとって暗部の後輩は、忍犬以上に気軽に使いやすい手足みたいなものらしい。
だけどやっぱり、個人的な用事に使うのは違うだろ?

「先輩に頼まれたら断れない場合もあるでしょう」
「えっと、そう言うことは……奴らはいつだって……その……」
カカシさんは、ゴニョゴニョと言い訳をする。
「ともかく、暗部の後輩を伝言に使うようなことも止めてください」
「……はい」
「伝言なんかなくても大丈夫だって、言っているんですよ。わかっていますか?」
じっと見詰めていたカカシさんの目が泳いだ。
これは、わかっていない証拠だ。
アカデミーの小さな子供達と同じ反応だ。

「いいですか、カカシさん。デートの約束をすっぽかすとか、約束の時間に遅れるとか、そう言うのとは違うんです」
カカシさんは、眉尻をへにょりと下げて、まだ何を言われているのかよくわかっていないような頼りない表情をしている。
これはやはり、生徒と同じように噛み砕いた説明をしなければわからないだろうな。

「この前もいいましたよね。俺たちは夫婦です。しかも忍びの共働き夫婦です。連絡がなくてもすっぽかしたとか、そう言う風には思わなくていいんです」
「……で、でも、イルカ先生が、御飯を作って待っていてくれると思うと……」
「カカシさんが帰って来ないのが平気だと言っているわけじゃないんです。カカシさんの仕事を一番、理解しているから言っているんです」
カカシさんは不思議そうな顔をして瞬いた。
この顔も本当に可愛い。
カカシさんの銀色で長い睫毛がバサバサと揺れる様は、いつ見ても綺麗だ。

「時間とかそんなことは関係ないんです。最終的にあなたが帰って来る家はここでしょう?ここが俺たちの家でしょう?だから俺は、いつでも安心してあなたを待っています」
バサバサと睫毛を動かし瞬いていた瞳が大きく見開かれた。
「カカシさんの帰って来る所はここですから」
カカシさんが何か言う前に、俺はカカシさんの身体を抱き寄せた。
俺の胸の中で、カカシさん小さく頷いた。








9


そして、パックンも影分身も暗部の後輩も伝言を持って来るような事はなくなった。
カカシさんが一旦任務につけば、俺にはいつ戻ってくるか、知ることは出来なかった。
俺が丁度、受け付けにいて、カカシさんの帰還報告にでも出くわさない限りはすぐにわかることはなかった。
いつ戻るのかも知れぬ相手を待つと言うことは、実はかなり心配で不安で忍耐の居ることだとわかったが、俺はカカシさんを信じて待つだけだ。
忍者と言うものはこう言うものだろう。
だからこそ、二人でいられる時間は大切だった。
カカシさんと過ごせる時間は一分だって一秒だって貴重だ。
里に居られる限り、俺と過ごせる限り、カカシさんには心安らかに過ごして欲しいと思う。
いつだって、楽しく、そして幸せでいて欲しいと願う。
俺は、カカシさんがそこに居てくれるだけで、誰よりも何よりも幸せなんだから。



「ただいま、カカシさん」
「お帰りなさい、イルカ先生!」
「どうしました?随分、楽しそうですね?何かいいことでもありましたか?」
カカシさんが先に帰宅していて、俺を出迎えてくれる時、カカシさんはいつもにこにこと本当に幸せそうな綺麗な笑みを見せてくれるが、今日の笑顔は一段と輝いていた。
「ほら、イルカ先生、早く、早く、中に入って」
カカシさんに急かされて六畳の居間に入ると、殺風景だった壁に鮮やかなブルーの海の絵が掛かっていた。

「ね、綺麗でしょ?」
「…………」
真っ青な夜の海と空、白く輝く月、そしてイルカが海から飛び跳ねている絵だった。
こ、これは……
時折り、商店街の空き店舗で特別展示とかなんとか言って、呼び込みをして売っている絵ではなかろうか。
版画の癖に通し番号がついているだけで一点物だとかなんだとか言う……
一点物だから、その内、高く売れるとか、投資にもってこいの絵画だとか、いかがわしいキャッチセールの……
そんな類の絵ではないだろうか。
そんなものに、この聡明なカカシさんが引っ掛かってしまったと言うのだろうか。

「ほら、海とイルカの絵なんですよー。まるでイルカ先生みたいでしょ?」
確かに、俺の名前はうみのイルカです。
この画家の絵は殆ど海とイルカがモチーフだったはずだ。
しかし、今時、この絵を買ってしまう人間がいるなんて……
俺は呆然とした。
一体、幾らで買ったのかはしらないが、クーリングオフは聞くだろうか……
店舗は、明日も営業しているだろうか……
「俺、一目見て気に入ってしまって。キャッシュで買っちゃいましたよ〜〜」
カカシさんは無邪気に笑っている。
目の前が暗くなる。


「それにほら……」
カカシさんは何故かもじもじとはにかんでいる。
こんな絵を飾っているなんてばれたら、恥ずかしいのは俺ですよ!
俺の気持ちも知らないで、カカシさんは、はにかみながら絵を指差して、
「ほら、いつかイルカ先生、俺のこと月みたいだって言ってくれたじゃないですか。海とイルカと月と……全部入っていますよ〜。だから、俺、凄くこの絵が気に入ってしまって」
と、目を三日月にして蕩けそうに笑った。
確かに、俺はそんなことを言った覚えがある。
だって、カカシさんの銀色の髪はとても美しくって、カカシさん自身もとっても綺麗で、時折り儚げに見えて、まるで月の精のように見えることがあるんだ。
こんな絵の月よりもカカシさんの方が綺麗ですよ。
カカシさんは穢れ無き月そのものですよ!

そう、月のように美しいカカシさんもこの団地には随分、不似合いな気はしていたが、この絵もこの団地の狭い和室の薄汚れた砂壁にはマッチしていない気がする。
だけど、そんなにカカシさんが気に入ったと言うのなら……
今時こんな絵を飾っているなんて、誰にも知られたく無い気分だが、新婚家庭に遊びに来る奴なんか馬に蹴られてなんとかだしな……
贅沢な食事を禁止してしまったから、このくらいの贅沢はいいかな……

「イルカ先生?イルカ先生は、こう言う絵はお嫌いでしたか?」
自分自身に納得させようと絵を見詰めたまま黙りこくってしまった俺の顔を、カカシさんが心配そうに覗き込んで来た。
「いや……その……えっと、良く見るとそうですね……月が輝いている所なんかカカシさんに似て居なくもないし……綺麗で……まあ、その……なかなかいい絵ですね。海の絵ですし、確かにイルカもいますし…あはははは……俺の名前と同じですね」
「そうでしょう!素敵な絵をお家に飾るなんて、素敵ですよね!俺、独身の頃は、絵を飾ろうなんて思った事も無くてベッドと本棚しかないような殺風景な部屋に住んでいましたから、部屋に絵を飾るなんて、ああ、これが家庭って言うものなんだなぁって、凄く嬉しいです!こう言う幸せを与えてくれたイルカ先生に感謝しています!」

ああ、カカシさんはとっても喜んでいる。
満足そうに、にこにこと海とイルカを眺めている。
俺はそんなカカシさんの横顔を見ているだけで幸せになるんだ。
そう、カカシさんが、嬉しいなら、俺も嬉しいです。
カカシさんの幸せが俺の幸せです。
こんな絵一枚で、カカシさんが幸せならお安いものですよね!
例えこの絵がこの和室に全く全くまっーーーたくマッチしていなくとも!








10


最近、カカシさんの帰宅は俺よりも早いことが多い。
早いと言っても、俺よりもほんの少し早く帰って来た程度の場合もあるようで、
「俺も今、帰って来たところなんですよー。イルカ先生もお帰りなさーい」
なんて言いながら玄関を開けてくれたりする。
今まさに、夕食の支度に取りかかろうとしている所だったり、エプロンをしながら出迎えてくれた時などは、鼻血が出るかと思った。
結婚生活って素晴らしい!
ああ、結婚して良かった!
神様仏様とうちゃんかあちゃん、ありがとう!
俺は万物に感謝した。

しかし、まさかカカシさんに限って任務を寄り好みしているとは思えないから、早く帰れるように無理をしていなければいいのだが……
いつだって俺の思考はカカシさんに流れて行く。
ふとした瞬間、アカデミーの休み時間だったり、帰り道も、いつだって思うのはカカシさんのことばかりだ。
早くカカシさんに会いたくて、自然と足が急く。

いつもの商店街に差しかかった所で、ふとタイ焼き屋が目に入った。
そうだ、たまには何か土産でも買って帰ろうか。
特に俺もカカシさんも特に甘いものを好むわけではなかったが、たまにはいいだろう。
ここのタイ焼きは凄く美味いと評判だった。
俺はほかほかのタイ焼きを買い、カカシさんが喜んでくれる姿を想像しながら更にうきうきと家路を急いでいたら……


「こんばんは、イルカ先生」
突然、俺の横に並んだのは見知らぬ暗部だった。
猪の面をしている。
どうやらこの前、伝言を持って来た暗部とは違う人間らしい。
俺は今度こそカカシさんに何かあったのではと思った。
一瞬でうきうきしていた心が冷え、冷や汗がどっと吹き出るような気がした。
が、暗部は全くひっ迫した様子でもなく、とてもフレンドリーに話しかけて来た。

「今日は、いいお天気でしたね」
「はあ……あの、何か?カカシさんに?」
「タイ焼きを買ったんですか?カカシ先輩への土産ですか?あそこのは美味いですよね。俺も好きですが、カカシ先輩もお好きだったとは知りませんでした」
「いえ、俺も、カカシさんが好物かはわからないんですが、たまにはと思って」
「ああ、そうですよね。カカシ先輩は、普段、甘いものはあまり召し上がりませんね」
「……あの……カカシさんに何か御用でしょうか?」
「いや、そういうわけでは……。イルカ先生の姿をお見掛けしたもので、つい……。その、あのですね」
「はい?」
「カカシ先輩は、どんな料理をなさるんですか?得意料理などお伺い出来たらなーなんて思いまして。あの、すみません」
「カカシさんは秋刀魚がお好きですが……得意料理ですか……」
カカシさんに何かあったわけではないと知ると、力が抜けてしまったが、暗部の彼はたいそう恐縮した様子ながらも、真剣そのものと言うか興味津津な様子も見て取れたので、俺は付き合わざるを得なかった。

「カカシ先輩の手料理を召しあがれるなんて羨ましいですねぇ」
「はぁ……お陰さまで……」
猪の面の暗部は一頻りカカシさんの手料理の話などを振って来て、しばらくすると、
「ああ、随分お引き留めしてしまって申し訳ありませんでした。それでは、失礼します」
と、やはり突然、去っていった。
取り残された俺は狐につままれた気分で、首を捻りながら自宅に戻った。
折角のタイ焼きが冷めてしまった。


「ただいま、カカシさん。そこで暗部の方に会いましたよ」
「お帰りなさい、イルカ先生。暗部の奴ですって?どいつです?あいつら、イルカ先生に何か失礼なことをしませんでしたか?」
今日もカカシさんは、俺よりもほんの少し先に帰宅した所のようだった。
ベストも着たまま、額当てもしたままで、台所のテーブルには、帰りに買って来たのだろう、これから調理する予定のまだ手つかずの食材が乗っていた。
「いいえ、カカシさんの料理の腕を知りたいとか」
「もう!あいつらは野次馬なんです。イルカ先生、またあいつらに話しかけられても無視しちゃっていいですからね!」
話しかけて来る者を無視するわけにはいかないだろうが、まあ、彼らの気持ちもなんとなくわかる。
憧れの先輩の新婚生活が気になるんだろう。
たまたま見掛けた俺に、突然、話しかけて来たりするくらいには。

「まあ彼らも、カカシさんのことを心配してくれているんでしょう。それより、はい、これ、お土産です。ちょっと冷めてしまいましたが」
「お土産ですか!嬉しい!イルカ先生!!」
カカシさんは俺に飛びついて来た。
ああ、こんなタイ焼きひとつで、こんなに喜んでくれるなんて!

冷めてしまったタイ焼きは温め直して、食後のデザートになった。
カカシさんは、美味しい美味しいと、とっても喜んでくれた。
こんなに喜んでくれるなら、また何か土産を買って帰ろう。
お土産を持って帰れる相手がいると言うことは、とっても幸せなことだ。
お土産を喜んでくれる人がいると言うことは、とっても幸せだ!


それから俺は時折り、タイ焼きやたこ焼きや甘栗などをカカシさんへの土産に買って帰った。
カカシさんは、どんなものでも、とっても喜んでくれた。
山中花店の前で、たまたま店番をしていたいのに捕まってしまった時は、無理矢理、薔薇の花束を買わされた。
「お花を貰って喜ばない人はいませんよ。イルカ先生からこんな素敵な花束を貰ったら、カカシ先生、更に惚れ直しちゃいますよ〜。自分のキャラじゃないって?イルカ先生、知らないんですか〜、ギャップ萌えですよ、今はギャップ萌えが流行っているんですから、大丈夫!」
なんだ?ギャップ萌えって?
カカシさんは何でも喜んでくれるんだが……
しかも俺と同じで、どちらかと言うと花より団子だろう?
惚れ直すも何も俺は惚れられているはず!
などなど、心の中で突っ込みどころ満載だったが、いのに口で勝てるはずもなかった。
いいと言うのに、ピンクのリボンまでつけて盛大なラッピングをされてしまい、持ち帰るのも非常に恥ずかしかった。
顔馴染みの八百屋のおばちゃんや魚屋のおっちゃんに、冷やかされながらの帰宅となった。

カカシさんは俺が持ち帰った花束を目にして、やはり驚いたが、すぐにいのの悪戯かそそのかされでもしたのだろうと、見破ってくれた。
土産に花束を勧めるなんていのくらいしかいない。
決して俺の自主的なチョイスではなかったが、それでも、カカシさんに花束を渡すのはかなり恥ずかしかった。
受け取るカカシさんも照れてしまい、その照れる姿は、これまた絶品だった。
恥ずかしそうに薔薇の花束に顔を埋めるカカシさんの可愛らしかったこと!
カカシさんは薔薇よりも美しく、そしてどんな花よりも可愛らしい!


そして、やはり時折り商店街で暗部の人間に話し掛けられた。
いつも同じ面ではなくて、まさしく入れ替わり立ち替わりと言う感じだった。
きっと非番の暗部などが、俺を見掛けて寄って来るのだろう。
暗部の中でカカシさんの人気は廃れることなく、むしろ生きる伝説みたいなものらしい。
彼らは、いつでも礼儀正しく、軽い世間話をしのついでを装いながらも、本当にただカカシさんの日常の一端を聞いてみたいと言った感じだった。
そして彼らは話し出すと止まらず、土産を持っている時などは、早く帰りたいのに思わないでもなかったが、カカシさんに好意を寄せている相手を無碍にすることも出来ず、俺の日常の一つに、夕方の商店街で暗部相手に立ち話をする習慣が加わった。








11


ある日は、家に帰ると、あの青い海とイルカの絵の前に、馬鹿でかい皮張りの椅子が鎮座していた。
「カカシさん……これは……」
「これ、肩凝りに凄いいいんですって!イルカ先生、採点していて肩が凝ったーって、言っていたでしょ」
皮張りのそれはマッサージチェアだった。
温泉の脱衣所なんかに置いてあって、確かにたまに使うと極楽気分を味わえるものだったが……
いや、あれは、たまに使うから有り難味があるものであって……
それに俺の肩凝りなんて、たいしたものではない。
たまたまアカデミーのテスト期間中で、採点に追われていただけで、つい口にした程度のものだ。

「イルカ先生、使ってみてくださいよー。凄く気持ちいいですよー。俺、ちゃんと確かめて買ったんですから」
カカシさんは、褒めて褒めてと言わんばかりの上機嫌さで俺に勧めて来るが、俺の心は曇って行く。
巨大なマッサージチェアは、六畳の居間を圧迫していた。
卓袱台が隅に寄せられてしまっている。

「カカシさん、これ大き過ぎやしませんか」
「そうですね。部屋に入れたらちょっと大きいかなって思ったんですけど、凄く健康にいいって」
「これは、俺にはあまり必要のないものですから、返しましょう」
「………でも……」
「俺の肩凝りなんて一過性のものですし。もしカカシさんも肩凝りがあるなら」
「あるなら?」
「俺が、幾らでもマッサージしてあげますよ。だから、マッサージチェアなんかいらないです」
「あ、んっ」
俺はカカシさんを引き寄せて肩を揉むついでに、カカシさんの腰を揉んだ。
「返品してもいいですよね?」
「あ、は、はい…あっ……イルカせんせっ……そんな所、揉んじゃ……だめですぅっっっ……」
と言うわけで、マッサージチェアは、無事に返品することが出来た。


ある日は、台所のテーブルの上に鍋が何十個も山積みにされていた。
俺は鍋の山を見るなり「返品しましょう!」と叫んでいた。
この鍋は、もう聞かなくたってわかる。
俺の叫び声にカカシ先生は、目をぱちくりとさせている。
「イ、イルカ先生?このお鍋、凄いんですよ?これで俺もお料理上手に!」
「カカシさんは充分、お料理上手ですよ!」
「でも、ほら、これお水入らず、油要らずの多重構造で、健康にも……」
「いや、大丈夫です。このお鍋じゃなくっても、幾らでも美味しい料理は出来ますよ。カカシさん、野営料理も上手じゃないですか!」
そうだ、カカシさん、俺たちは忍者です。
鍋釜なんかなくったって、どんな道具でもどんな材料でも調理するじゃないですか。

「でも、俺、もっともっと料理の腕を上げて、イルカ先生に美味しいものを食べて貰いたいと……」
「カ、カカシさん!料理は心です!カカシさんの真心だけでカカシさんの料理は世界一美味しいんです!」
「イルカ先生……」
思わぬ俺の熱弁にカカシさんは頬をぽっと赤らめた。
「カカシさん、こんなに沢山あってもしまう場所にも困りますし、この鍋は返品しましょうね。それから、カカシさん、浄水器とか空気清浄機をつけたくなったら、一言俺に相談してくださいね?」
「浄水器に空気清浄機ですか?」
カカシさんは、突然飛び出した商品名に呆気にとられたようにポカンとしているが、鍋と来たら次は相場が決まっているってもんだ。
この世間知らずなカカシさんに、今度こそ、早めに釘を差しておこうと思った。

「ね、俺たちは夫婦なんですから、なんでも相談してくれると嬉しいですよ」
「夫婦……そうでしたね、俺たちは夫婦です。ごめんなさい、イルカ先生、勝手にこんなに沢山のお鍋を買ってしまって」
カカシさんも快く返品に応じてくれたので、俺はせっせと鍋を箱に戻した。


それから俺は、いつカカシさんがとんでもないものを購入して来るか気が気ではなかったが、大量の洗剤も、大量のサプリメントも、馬鹿高い掃除機も、登場することはなかった。
俺はようやくほっとして胸を撫で下ろしていたのだが……
そう、カカシさんは、リフォームやリゾートマンションや、先物取引やらの契約には手を出さなかったが……



ある日は、玄関を開けると、狭い廊下を通せんぼするほどの大きな花瓶が置かれていた。
カカシさんは、その黄色い花瓶を避けるように横歩きして玄関に辿りき俺を出迎えてくれた。
旅館の床の間に飾ってあるような大きな花瓶だ。
勿論、この家には床の間なんてない。
しかも見るからにちゃちな雰囲気で、高そうな代物には見えない。
傘立てにでも出来そうなほど大きな花瓶だ。
もしかしたら傘立てなのか?
だから、ここに?

「こ、これは傘立てですか?」
「これは幸福の壺です!」
カカシさんが目をキラキラさせてのたまった。
「ああ、花瓶じゃなくって壺ですか…って、なんの壺ですって?」
「幸福の壺です。この壺をこの方角に置いておくと幸せが訪れると言う」
このド派手な金色とも黄色ともつかぬ成金趣味丸出しのペカペカした壺が幸福の壺?
まるで子どもの落書きみたいな動物の絵がひょろひょろと描かれた壺が幸福の壺?
不幸の壺の間違いなんじゃないか?

「イルカ先生?どうしましたか?」
「………」
俺はよっぽど険しい顔をしていたのだろう。
カカシさんがおそるおそる小声で尋ねて来た。
「これ、幾らしたんですか?」
「幾らって……その……。俺のポケットマネーで買いましたから……」
珍しくカカシさんが値段を言い淀んだ。

確かにカカシさんはマッサージチェアも鍋も海の絵も、自分の管理する金で買っていた。
俺はカカシさんに、どのくらい貯蓄があるのかは知らない。
カカシさんが請け負う忍務の報酬はだいたいの想像はつくが、カカシさんの報酬はカカシさんのものだ。
でも、命懸けで働いた金をこんな物に使っていいのだろうか。
カカシさんは俺と結婚してから金の使い道を間違っているような気がしてならない。
俺たちは忍びだ。
忍びが一線で働ける時間は短い。
いつ怪我をするか、いつ働けなくなるか、わからない。
金は大切にして欲しい。


「カカシさん、この壺、本当に我が家に必要なものだと思いますか?」
「えっ?……でも、俺、この壺が……」
「カカシさんがこう言うものを集める趣味があったならそれはそれでいいですが、違いますよね?この前のイルカの絵、あれは本当に気に入っていたみたいですから、たまにはああ言う買い物もいいと思います。だけど幸福の壺なんて胡散臭いものをほいほい買っては駄目ですよ」
「でも、本当に、この壺は……」

「カカシさん、俺はあなたの報酬の使い道に口を出すつもりはないですが、あなたが命懸けで稼いだ金を、無駄にしないでください。特に俺との生活で無駄にしないでください」
「無駄だなんて、そんな!俺はそんなつもりは!俺は、本当にイルカ先生とずっといたいから……」
「それとも、幸福の壺が必要だと言うことは、今、幸福ではないと言うことですか?」
「ち、違います!そんなんじゃないんです!」
「だったら、この壺は必要なですよね?」
カカシさんは俯いて口を噤んでしまった。

少し可哀想だと思わなくもなかったが、はっきり言っておかなければカカシさんは、これからも壺だの置物だの掛け軸だの買って来るかわかった物ではない。
俺は心を鬼にして、カカシさんに返品を勧めた。
その日、カカシさんは口数少なく、結婚して以来、初めて俺に背を向けて寝た。



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途中がき
管理人は、カカシ先生がイルカ先生の事が大好きで大好きで、
何をするにも一生懸命な感じのイルカカが好きなんです!
一生懸命なのに空回りして行く感じが、たまらなく愛しいのです!!
愛する夫のためを思って行動する新妻なのに!
なぜか擦れ違って行く二人の思い?夫婦の危機が?!


2011/05/30、06/09、06/11、06/14、06/16、06/17、06/20





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