イルカカ   奥さまは写輪眼






団地妻カカシさん

   




21.   22.   23.   24.   25.    26.   27.   28.   29.








21


俺はサンダルを履いたままだったことにようやく気がついた。
ベランダでサンダルを脱ぎ、鞄とコンビニ袋を手に再び室内に戻った。
サンダルを玄関の定位置に並べ、居間に戻った所で、玄関の開く音がした。
カカシさんが帰って来た。
「イルカ先生、ただいまーー」
電気がついているから、先に俺が帰って来た事がわかったのだろう、カカシさんがそう挨拶を口にしながら入って来た。

「お帰りなさい、カカシさん。そして、ただいま、カカシさん」
「たたいま、イルカ先生。今日はイルカ先生に先を越されてしまいましね〜。イルカ先生も、お帰りなさい」
カカシさんは、玄関を入るなり額当てを外したのだろう。
いつもと変わらず美しい顔で、いつもと全く変わらずニコニコと最上級の笑みを浮かべてくれている。

「今日は暑かったですね〜。イルカ先生、先にシャワー浴びて来ますか〜?その間に俺が食事の支度を」
そして、カカシさんの視線がキッチンのテーブルに向けられた。
そこには、暗部が置いて行った大根の葉っぱが見えるスーパーの袋がある。
俺はカカシさんの表情を食い入るように注視していた。
カカシさんは、驚きも焦りもしなかった。
顔色は、全く変化無かった。
流石と言うべきだろうか。
『今、暗部の後輩が置いて行きましたよ』そうカカシさんに言おうと思っていた俺の心が僅かに挫け、出遅れてしまった。

「ああ、これ、昼間、ちょこっと時間が出来て、買い物だけして来たんですよー。冷蔵庫にしまう時間まではなくって。今日も秋刀魚が美味しそうですよ〜」
カカシさんの口は滑らかだった。
「カカシさん」
俺の硬い声に、袋から秋刀魚を取り出していたカカシさんの手が止まる。
「はい?」
「カカシさん、俺は嘘が嫌いです」
カカシさんの身体がビクリと跳ね、そのまま凍りついたように動きを止めた。
それだけでカカシさんには、嘘がばれたと言う事がわかったのだろう。
カカシさんは喘ぐように大きくひと呼吸して、俺の方に向き直った。
「ごめんなさい、イルカ先生」
袋から手を離すと、そう言って頭を下げた。

「俺が帰って来た時、猪の面の彼とご対面しました」
「驚かせてしまって、ごめんなさい。暗部の後輩に買い物を頼みました」
「彼は独断でしたことだと譲りませんでしたが、カカシさんが頼んだんですね」
「ごめんなさい。任務が長引いてこんな時間になってしまったものですから、買い物をしてからではもっと遅くなると思って、買い物を頼みました」
「以前、俺が暗部を見掛けたと言ったら、カカシさんは否定したことがありますが、彼らは頻繁に出入りしていたんですか?」
「えっと……2回……いえ、3回くらい……えっと、何回かです」
カカシさんの目は泳ぎ、答える口調は歯切れ悪かった。


「俺は言いましたよね?遅くなる時は、夕飯の事は気にしなくていいと。何もなければお茶漬けだってカップラーメンだって構わないと」
「はい」
「俺たちの家庭の事は自分たちでやろうって、他人様に迷惑はかけないようにしようって約束しましたよね?」
「はい……」
「暗部の後輩は他人じゃないなんて言い訳は聞きませんよ。カカシさんにとっては気の置けない仲間かも知れませんが、俺にとっては完全な他人です。ここは、誰の家ですか?」
「俺たちの……イルカ先生と俺の家です」
「カカシさんが許可をしたとしても、俺は、俺の預かり知らぬ所で勝手に他人に出入りされるのは不快です」
「ごめんなさい」
カカシさんは、ごめんなさいと繰り返す。

この人は、本当にわかっているのだろうか。
普段は、誰に対しても人当たりも良く優しく、高飛車な所もなければ尊大な態度を取ることもない。
誰に対しても平等に接する。
だが、その癖、すぐには人を信用しない、警戒心の強い人だと言うことも、俺は付き合って行く内に知った。
そのカカシさんが、暗部の後輩を無条件で信用しているのもわかっていた。
だが、後輩や仲間、同僚、友達などと家族は違うものだ。
そして恋人ともまた違う、家族と言うくくり。
天涯孤独になってしまった俺たちのような人間には、なんと魅惑に満ちた言葉だったろう。

家族が欲しかったと、カカシさんは言っていたはずだ。
それなのに、カカシさんの中で、家族と仲間の境界線と言うのは、どこにあるのだろう。
二人で築いて行く家庭に、ずかずかと他人を介入させて平気なのだろうか。
俺にはわからなかった。








22


「俺に話し掛けて帰宅を遅らせると言うのも、カカシさんの案ですか?」
申し訳なさそうに眉尻を下げていたカカシさんの表情が更に変化した。
スーパーの袋を発見した時のポーカーフェイスもどこへやら、激しくうろたえた様子が見て取れた。
きっと、そこまではばれていないと思っていたのだろう。
「ごめんなさい」
カカシさんはまた謝った。
謝ると言う事はそう言うことなんだろう。

「カカシさんの了承の元で、彼らは動いていたと理解していいんですね?」
それでもカカシさんに否定して欲しかった。
「俺が頼んだわけではありませんが、奴らが俺のためにイルカ先生に話し掛けて時間稼ぎをしていてくれているのは知っていました」
その返事を聞いて、やるせないと言うか、一気に疲れが増した気がした。
だって、まるで馬鹿みたいじゃないか。
道化みたいじゃないか。
そんなこととは露知らず、カカシさんに出迎えて貰って喜んでいたなんて。

「普通そんなことを考えますか?カカシさん、あなたも暗部の後輩も、どうかしていますよ」
そんな馬鹿らしい計画、立てる方も立てる方だが、それを甘んじて受け入れる方も受け入れる方だ。
まして、一度や二度じゃない。
夕餉の買い物をする買い物客で混む商店街で、俺は何度も何度も彼らと立ち話をした。
実行し続ける彼らの忠誠心にもほとほと呆れかえる。
カカシ先輩とやらは、暗部の精鋭をそんなにまで魅了して止まないってことかよ。
常識外れ過ぎる。

「カカシさん、あなたは普通の生活に憧れているって言っていたけれど、そう言う考えからして普通じゃないってことが、わからないんですか」
俺と結婚して普通の幸せを手に入れたいと言っていたのはなんだったんだよ。
「ごめんなさい……」
「どう考えたって変ですよ。カカシさんもごめんなさいって謝ると言う事は、自分でもおかしいと思っていたんですよね?」
これがおかしいと思わない方がどうかしている。
この人にとって、これが普通なのか?

「ごめんなさい……俺、本当に、ただ、イルカ先生より先に帰りたかったんです……それだけなんです。イルカ先生に電気のついている家に帰って来て貰いたかっただけなんです……普通のお家みたいにしたかったんです……」
「そんなことをされていたと知って、本当に俺が喜ぶとでも思っていたんですか?」
とこが普通の家だ!
俺の語気はついつい強くなってしまった。
「ごめんなさい……俺、やっぱり普通じゃないですか………」
カカシさんの声はもう哀れなほど掠れて、今にも消え入りそうだった。
しょんぼりと肩を落として俯いてしまった。

しまった、言い過ぎた。

カカシさんがここまで常識知らずだとは思わなかったし、アホらし過ぎて、馬鹿らし過ぎて、怒りを通り越して心底呆れかえってしまったが、そんな姿を見ていたら、可哀想になって来た。
カカシさんが普通の人じゃないってことくらいわかっていたのに。
俺がカカシさんに普通の幸せを与えてやると誓っていたのに、どうしてこうなってしまうんだ?

どうしてカカシさんにはわかって貰えないんだ?
俺とは何もかも違い過ぎて、一緒に生活して行くには無理があるのか……
土台、俺には高根の花のよう人だったのか。
俺はカカシさんがいるだけで幸せだったけれど、この人の幸せと俺の幸せは違い過ぎるのではないだろうかと、一気に自身が無くなった。
俺は今度は自己嫌悪に苛まれた。

だけど、カカシさんを責めたって何にもならないだろう。
生まれも育ちも、階級も立場も、何もかも違い過ぎる。
考え方も違い過ぎる。
気長に理解して貰うしかないのだろう。


「すみません。俺も言い過ぎました」
俺はカカシさんに頭を下げてから、カカシさんの肩を掴み顔を上げさせた。
綺麗な蒼い瞳が潤んでいる。
こんな悲しい顔をさせてはいけない。

「二人の家の事は二人で解決して行きましょう。俺から暗部の彼には断って置きましたが、カカシさんからも、今後は助太刀無用だと断っておいてくださいね」
「はい……イルカ先生、本当にごめんなさい」
「さあ、着替えて飯にしましょう!カカシさん、先に風呂どうぞ。今日は俺が飯の支度をしますよ!折角の秋刀魚です。頂きましょう!」
「イルカ先生……」
俺は気持ちを切り替えるように、明るい声を出し、着替えるために寝室になっている部屋の襖を開けた。

そして、そこにあった物を見て、今度は絶句した。








23


六畳の和室には、キングサイズのベッドが置いてある。
俺は布団でも良かったのだが、ずっとベッドを使っていたと言うカカシさんが、慣れぬ布団で体調を崩してはいけないと、新居に移る際、ベッドの購入に踏み切った。
キングサイズの羽根布団も特注で奮発した。
シンプルなブルーのカバーが掛かっていたはずだ。
それなのに、今、俺の目の前にある布団は……

派手な紫の生地に、鶴と亀の刺繍が施された、なんだかとてもめでたい和風のものに変わっていた。
「こ、これは……」
「あ、それは」
カカシさんの声に、少しはばつの悪さが潜んでいただろうか?
それなら、まだ少しは救われたか?
「冬用のお布団も必要かと思いまして。ほら、今の時期だからお買い得なんですって」
いや、やはりどこか嬉々として得意げだろうか。
「ほ、ホントにお買い得なんですよ。物は凄くいいものなんですから」
あえて値段は聞くまい。
だけど、なんで、こんな柄の……
まるで長寿のお祝いに子供や孫が贈るような布団じゃないか……

そうか、この柄に何か意味があるんだ。
この柄だからカカシさんは気に入ったのかもしれない。
前回の幸福の壺の轍を踏んではならない。
良く見るんだ、イルカ。

先ず鶴は……白銀色の刺繍糸で羽根が綿密に刺繍されている。
亀は金色の糸で、甲羅が綺麗に刺繍されている。
そして、その周りには、高砂を思わせる松。
散りばめられているのは梅の花だろうか、桜だろうか……
めでたい……
確かに、おめでた尽くしの意匠だ。
じーさん、ばーさんが貰ったら涙を流して喜ぶかもしれない。

俺たちは新婚だぞ。
ピンクのハートがちりばめられた布団で寝たって、イエスだのノーだの描かれた枕で寝たって悪くは無いだろう。
それを、こんなド派手な紫に金と銀の鶴亀だなんて……
しかもこの布団は、趣味が悪い割には、いかにも金が掛かっていそうだ。
高いに決まっている。
例えカカシさんの金でも、無駄遣いはしてくれるなと、あれほど諭したのに。
俺に相談してくれと、口を酸っぱくして言っていたのに。
収まっていたはずの怒りが瞬時に再燃したようであった。

「カカシさん、あんた、何考えているんですか!」
俺はついに怒鳴り声を上げてしまった。








24


「これも駄目でしょうか……?あの…健康と……長寿を願った……とってもめでたい柄だって……」
「ええ、見ればわかります。鶴は千年、亀は万年といいますものね。ですが、これじゃあ、どこぞの御隠居の布団ですよ!」
赤いちゃんちゃんこでも着て写真を撮れってか。
「……そんなに駄目ですか……これもイルカ先生にお気に召しませんでしたか……」
お気に召すも何も、こんなもの買って来る方がどうかしているんじゃないか?

「俺、イルカ先生の好みとは正反対なんですよね……」
「そう言うことを言っているんじゃないでしょう!」
カカシさんはしばらく黙っていたが、俺の後ろからベッドの横まで来ると布団を畳み始めた。
ふかふかの布団をぎゅうぎゅうと押しつぶして、四つに畳み更に小さく畳もうとしている。
「これ、返して来ますね」
「もう店も閉まっていますよ」
どこに返しに行くと言うんだ。
「でも、ここに置いておいても仕方ありませんから、どこかへ片づけて来ます。買った時に入っていた袋があるはずですし」
カカシさんは布団を折り畳むのを諦めた様子で、布団袋を探して部屋の中を見回した。
押入れを開けようと俺の傍らを横切ろうとしたカカシさんの腕を、俺は捕まえた。


「この布団も、後輩に運ばせたんですか?」
「………」
カカシさんは俺の顔を見詰めて、開いている右目をぱちくりとさせた。
銀色のけぶるように長い睫毛が、ばさばさと揺れる。
カカシさんは、こんな所まで美しい。
「寝室にまで、他所の男を引き入れたのかって聞いているんです」
「他所の男って……」
暗部だって後輩だって、他所の男は他所の男だろう!
ここは寝室だぞ。
寝具だぞ?
夫婦の使う布団だぞ?
それを平気で他所の野郎に運ばせて、平気でいる方がどうかしている。

「ごめんなさい。イルカ先生がそんなに俺の後輩達のことを不快に思っているとは知りませんでした」
「後輩がどうのって話じゃないんです」
不快とかそう言う話じゃない。
俺は別に後輩に嫉妬しているわけじゃない。
ただ、限度の問題だ。

「俺は、あなたに謝って欲しいわけじゃないんです」
「だったら、どうしたらいいんですか…俺……ごめんなさい。俺、本当に……良くわからないんです」
「わからなければ相談してくださいって言っているんです」
「ただ……イルカ先生に……喜んで貰いたかっただけなんです……」
「こんなことをされて、喜ぶわけはないでしょう!」
「………ごめんなさい……」
カカシさんはそう言うと、さりげなく俺の腕を外し歩き出した。
悄然とした足取りで寝室から出て玄関に向かい始めた。

「どこへ行くんです?」
「お布団は明日、片付けますから、その辺に下ろしておいてください」
「こんな時間に、どこへ行くのかって聞いているんです」
「少し頭を冷やして来ますね」
「後輩の所にでも行くつもりですか!」
馬鹿か、俺は。
カカシさんは振り返って「違います」と言うように小さく首を振った。

「こう言う時は、実家に帰りますって言うんでしょうか?」
カカシさんはおかしくもないの薄く寂しげに笑った。
「実家って、カカシさんには帰る実家なんかないでしょう」
実家なんかあるわけはないのに、何をいまさら。
「俺にだって、帰る所くらいあります!」
「勝手にしろ!」
思いの外、カカシさんの語尾がきつく聞こえ、俺は売り言葉に買い言葉で、また怒鳴り返してしまった。
カカシさんはびっくりしたように目を瞠ってから、物凄く悲しそうな顔をした。
そして、玄関から出ようとしていたのに、そのままその場所から煙のように消えてしまった。
ぼふんと広がった煙の中から「ごめんなさい」と言う微かな呟きが聞こえたような気がした。


カカシさんは俺たちの家から出て行ってしまった。

紫色の布団を残して、

俺を残して……








25


なんだよ、実家って!
帰る所って、どこだよ!
月にでも帰るって言うのか!
まるでおとぎ話じゃないか……

くそっ!

俺は四つ折りにされたまま残された布団を拳で叩きつけたが、ぼふっと拳が沈んだだけで何の手応えもなかった。

カカシさんは、元々、俺には勿体ないような人だ。
月とすっぽん。
幼少から天才と謳われていたような人だ。
そんな人の考えは、やはり俺などには計り知れないものがあるんだろう……
凡人にはとても理解できない……
沢山の崇拝者に囲まれているのがお似合いなんだろう。

帰る家なんかありゃしないんだから、どうせ後輩の誰かの家にでも転がり込むんだろう。
後輩じゃなくたって、カカシさんなら喜んで泊めてくれる相手には事欠かないだろう。
実家に帰るだなんて言って、他所の男の家に転がり込む気かよ!
後輩の家も同僚の家も友人の家も、カカシさんの実家じゃないだろう!
家族は俺だけだと言った口で!

そうだ、俺たちは夫婦なのに……
俺たちは家族なのに……
カカシさんは他所の男の所へ行く気だろうか?
本当に?
まさか!
まさかだよな?
カカシさんは、帰る所くらいありますと言ったが……
他に帰る家なんか有るわけないじゃないか。
結婚前に住んでいた独身寮から、きれいさっぱり引越して来たんじゃないか。
カカシさんが長らく住んでいた部屋は、次の入居者が殺到し、倍率が高く跳ね上がり、大変な騒ぎだったと言うが、今はもう幸運を引き当てた誰かが住んでいるはずだ。

そうだ……
カカシさんに帰る場所なんかない……

だったら、カカシさんはどこへ行った?
どこへ帰った?

月のように美しいカカシさんは、本当に月に帰ったか?

違う。
カカシさんは幾ら綺麗でも、天女でもかぐや姫でもない。
だからカカシさんは月になんか帰らない、帰れない。


カカシさんは……

里の至宝、写輪眼のカカシは……
カカシさんは俺の奥さんだ。

カカシさんの帰る家は、ここだろう!



俺は酷いことを言った。
帰る実家なんか無いだろう……なんて。

無いのは俺も同じじゃないか。
俺だって、一人侘しい男住まいの独身寮から越して来て、もう帰る場所はない。
子供の頃、住んでいた家も、とっくに人手に渡ってしまっている。
父ちゃんも母ちゃんもいない寂しさは、俺が一番よくわかっているじゃないか。
だから本当に嬉しかった。
家族が出来、帰る家が出来、本当に嬉しかった。
それはカカシさんも同じだったじゃないか。

俺はカカシさんに酷いことをした。
カカシさんを一人で出て行かせるなんて……


俺は、居ても立ってもいられずにカカシさんを探しに外に飛び出した。
飛び出したはいいが、既にその辺りにカカシさんの気配はない。
カカシさんが本気で気配を消して隠れてしまったら、俺には探れないだろう。
行き先の見当もつかない。
後輩の家に行くんだろうなんて当て擦りを言っておきながら、俺はカカシさんが親しくしている後輩の誰の家も知らない。

他にカカシさんが頼りそうな友人の家も思いつかなかった。
上忍師仲間の他の先生の所にでも行くだろうか?
永遠のライバルだと認め合うガイ先生の所に行くだろうか?
どこも違うと今なら思う。
俺にはカカシさんのプライベートに尋ねる相手一人、思いつかなかった。


だけど、どんなことをしてもカカシさんを探さなければ……

だから、どんなことをしてもカカシさんを連れ戻さなければ……

必ずカカシさんを見つけ、一緒に家に戻るまでは俺も家には帰れない。


俺はカカシさんを探して、夜の木ノ葉を走り回った。








26


「イルカ先生、こんばんは」
「おお、チョウジ。今帰りか。お疲れさん」
カカシさんの気配を探りながら足早に歩いている道行く人もまばらな住宅街に出た。
そこで任務帰りのチョウジに出会った。
「もうお腹ぺこぺこだよー。早く帰ってかあちゃんの御飯食べたいよー」
「はは、相変わらずだな」
随分と逞しくなったが、相変わらずの物言いに笑みが零れる。

「あ、そうだ、イルカ先生。カカシ先生にかあちゃんから伝言。カカシ先生の都合のいい時に、いつでもどうぞって」
「なんだ?」
「カカシ先生、この前、かあちゃんに料理を教わりに来てね、また教わりたいって言ってたから」
「はっ?」
俺は耳を疑った。
初耳だった。

「カカシ先生って、凄いよね」
「あ?ああ」
驚き過ぎて俺は二の句が継げなかった。
「あんなに何でも出来る凄い人なのに努力を怠らないなんて、ほんと凄い人だよね。料理の上達も早いってかあちゃんも褒めていたよ。家のかあちゃんの料理は世界一だからね。イルカ先生も楽しみにしていてよ」
俺の困惑をよそにチョウジは驚くべきカカシさんを日常の一端を滔々と披露してくれた。

「そんなことを頼んでいたのか……。無理にお願いしたんじゃないだろうな。お母さんも忙しいようだったら、断ってくれてもいいんだぞ」
「そんなことないよ。かあちゃんもとうちゃんも喜んでいたよ」
「チョウザさんも?」
思いがけない言葉に俺は益々驚いて聞き返した。

「カカシ先生が幸せな家庭を持てたことが嬉しいんだって。イルカ先生なら安心だって言ってたよ」
「そ、そうか……」
「あー、もうお腹と背中がくっついちゃいそうだよ。イルカ先生、おやすみなさーい」
「ああ、おやすみ。お父さんとお母さんにもよろしく」
走り出したチョウジの背中を見送って、俺は溜め息をついた。
俺なら安心だなんて、買い被り過ぎだ……

それにしても、料理を習いにだって?
そんなこと一言も言わなかったじゃないか。
確かに、最近の秋刀魚は焦げずに綺麗に焼けていたが……
あの忙しい人に、どこにそんな時間が……


チクショウ

チクショウ

チクショウ

俺はカカシさんが焼いてくれたなら、例え丸焦げの炭みたいな秋刀魚だって、美味しく食うぞ!

毎日、秋刀魚だってかまわなかったんだ。

チクショウ

チクショウ

あの忙しい人が、わざわざ料理を教わりにだって?

誰のために……

俺のために決まっている!


チクショウ

チクショウ

チクショウ!!!


俺は熱くなる目頭を拳で擦って、更にカカシさんを探し続けた。








27


住宅街を抜け、商店街に出た。
普通の商店はそろそろシャッターを下ろす時間だった。
そんな中、店の後片付けをしている、いのに声を掛けられた。
「あら、イルカ先生、こんばんはー」
「こんばんは、いの。店の手伝いか?偉いな」
「そうなんですよー。もう帰って来るなり手伝えだなんて。あー、そんなことより、この前の花束、カカシ先生、喜んでくれたでしょう?お花を貰って喜ばない人はいないって言ったでしょ。ね、当たっていたでしょう?」
いのはいつ会っても元気だ。
お喋りなのも相変わらずだ。
確かにカカシさんは、花束を恥ずかしそうにしながらも喜んで受け取ってくれたが、カカシさんは何を持って帰っても喜んでくれるぞ。

「うふふ、今度は、カカシ先生の好きなお花もリサーチ済みですよー」
「カカシさんの好きな花?」
俺はまたもや驚いて聞き返す破目になった。
先日は、いのに勧められるままに薔薇の花束を持って帰ったが、カカシさんの好きな花なんて聞きもしなかった。
自分が取り立てて花に興味が無い所為か、カカシさんもそんなものだろうと思っていたから……


「花を貰ったのなんて初めてだって言っていましたけど、凄い嬉しそうでしたよ。カカシ先生は、結構、植物が好きみたいですね。それにカカシ先生は派手な花より、どっちかと言うと可憐で素朴な感じのお花が好きみたいですよー」
「そうカカシさんが言ったのか?」
「あたしがそれとなく聞いておきました!ほら、こんな感じの青いお花が好きみたいでしたよ。イルカ先生も、しっかりカカシ先生の好みをリサーチしなくちゃ駄目ですよー」
丁度いのが持ち上げようとしていたバケツには、青紫の桔梗が数十本入っていた。
そうか、カカシさんはこう言う花が好きなのか……
桔梗の花は俺の目にも、とても好ましく映った。
こう言う派手に主張しないたおやかな花は、きっと気持ちが安らぐだろう。
カカシさんの心に染みいるような微笑みに似ているかもしれない。

「いの、この花をくれ。全部だ」
俺は思わず、そう言った。
「はい、毎度ーーー!」
いのは満面の笑みを浮かべて、バケツから桔梗を抜き取った。
「そのままでいいから、簡単にまとめてくれればいいから」
「そうですねー、こう言うお花は派手にラッピングしない方がいいですね。さりげなーくね。イルカ先生、桔梗の花言葉は『優しい愛情』『変わらぬ愛』『変わらぬ心』『誠実、従順』って言うんですよー」
いのは花言葉の知識を披露しながら、慣れた手つきでくるくると茎を紐でくくり、白い紙でざっと包んでくれた。

「イルカ先生、またの御来店お待ちしていまーす」
いのの威勢のいい声を背に、俺は山中花店を後にした。








28


俺は、まるでふられた男よろしく片手に桔梗の花束をぶら下げて、カカシさんを探して歩き続けた。

桔梗の花言葉は、優しい愛情、変わらぬ愛、変わらぬ心、誠実、従順か……
今の俺には、なんとも虚しく響く花言葉だった。
でも、桔梗はカカシさんに良く似合うと思う。
勿論、薔薇も似合った。
カカシさんは薔薇の花にも引けを取らぬ美貌だが、あのほんわかとした優しい笑みは安らぎを与えてくれた。

俺は、いのに言われるまで、カカシさんの花の好みなんて考えもしなかった……
カカシさんが花が好きかどうかなんてことも、考えもしなかった。
花ならば、どんな花が、色は何色が好みかなんて、聞きもしなかった。
青い花が好きだなんて、知らなかった……

なんで聞かなかったんだろう。
どうして知ろうとしなかったんだろう。
それは……
カカシさんが、俺が何をあげても喜んでくれたからだ。

俺はカカシさんが喜んでくれると思って花を買って帰った。
アイスを貰って帰った。
団子を、甘栗を、焼き芋を、まんじゅうを買って帰った。
俺もカカシさんも特に甘いもの好きと言うわけではなかったが、喜んでくれるのが嬉しくて、土産を持ち帰った。
好きかどうか知りもせずに、ただ喜んでくれるからと土産を持って帰ったじゃないか。
カカシさんの喜んでくれる顔が嬉しかったから。


名酒忍び殺しも、
オーマのマグロも、
火の国牛も、
フカヒレスープも、
料理上手になれると言う鍋も、
マッサージチェアも、
幸福の壺だって、
みんな、みんな、全て「イルカ先生に喜んで貰いたくて」とカカシさんも言っていたじゃないか。

俺の気持ちと同じだった。

値段が高いからって、俺は端から否定して、
知り合いのつてと言う事が、人様に迷惑を掛けているからと否定して、
暗部の後輩ばかりを頼るカカシさんに嫉妬して、否定して、
俺は一方的に、否定ばかりし続けて……

なんで俺は、カカシさんの好意を素直に受け止められなかったんだろう。

カカシさんに出迎えられて俺は凄く嬉しかった。
奥さんの待つ家、家族の待つ家に帰るのは、本当に楽しかった。
だからカカシさんは、俺より一分でも一秒でも先に帰って俺を出迎えたいと思ってくれたんだ。

カカシさんだって「誰かがいる家に帰って来るのはいいものですね」って言っていたじゃないか。
方法はどうであれ、カカシさんは、俺には出来ないような努力をしてくれていたんじゃないのか……
俺には考え付きもしない方法で、目一杯の愛情を示していてくれたんじゃないか……
俺はカカシさんや、カカシさんを取り巻く暗部の後輩たちの奇抜な行動にばかり目を捕らわれて、気持ちを見誤っていたんじゃないか。

俺がしてやれた事と言ったら、なんだ?
俺は何か努力をしただろうか……
カカシさんは任務の合間に料理まで習おうとし、俺の身体を心配してマッサージチェアを探し、鍋を選び、冬を心配して布団まで探してくれていたその間に……


たかが数十本の花なのに、桔梗の花束はずしりと重かった。








29


「イルカ先生、ばんわ」
カカシさんの気配を探りながら歩き続け、いつの間にか街外れまで来ていた。
人通りの無い暗い道の向こうから歩いて来たのはシカマルだった。
「シカマルも今、帰りか」
「また、いのに売りつけられたんスかー」
「いや、これは、その……」
手に提げていた花束を目ざとく見つけ、早速、突っ込まれた。

「あ、そうだ、家のオヤジからカカシ先生に伝言があるんっスよ。『来月には採れる』だそうです」
「なんだ?シカクさんにも何か頼んだのか?」
「あ?ああ、チョウジにも会いましたね」
シカマルは察しがいい。

「なーに、奈良家秘伝の香辛料を少し分けて欲しいって話しらしいですよ」
「奈良家秘伝の?そんなもの、分けて貰っていいのか?」
「秘伝なんて名ばかりですよ。単に家で管理している森に自生している植物で作っているってだけですから」
「いや、そう言うのを秘伝って言うんだろ?そんなものをおいそれと強請るなんて……」
「構わないっすよ。他ならぬカカシ先生の頼みっスからね」
「そうだよな、カカシさんは特別な人だからな」
カカシさんの人脈の厚さにも目を瞠るものがあるし、誰もがカカシさんの頼みなら引き受けてくれるんだろう。

「なんすか?なんか引っ掛かる言い方っスね」
俺の口調に、僅かに僻み根性と言う刺が混ざってしまっただろうか。
やはりシカマルは敏感だ。
「あ、いや、すまん。ただ、カカシさんは普通の人じゃないだろう?そんなことを少し思い知らされた所だ」
「カカシ先生、普通じゃないんっスか?あの写輪眼の他に目が三つあるとか、尻尾でも九本生えていたりするんスか?」
「まさか、九尾じゃあるまいし」
普通じゃないって言うのは、この場合、そう言う普通じゃないではないんだ……
普通じゃないって言うのは……

「そうっスよね。でもイルカ先生は、例え九尾が封印されていたとしても関係ないっしょ。普通に接していたじゃないっスか。カカシ先生なんて、手足が八本あるわけじゃなし、全然、普通っスよね」
確かにカカシさんはうちはの血族ではないのに写輪眼持ちだ。
だから普通じゃないのか?
そうじゃない。
九尾を封印されていたら普通じゃないのか?
そんなことあるものか!
そうじゃない。
そんなんじゃないんだ。
例えカカシさんに尻尾が九本あったとしても、手足が八本あったとしても、目が四つあったとしても、カカシさんはカカシさんだ。

カカシさんは、写輪眼を持ったコピー忍者で、ビンゴブックに載るような忍者で、白い牙の息子で、里の至宝で、火影候補で………
俺から見たら全く常人離れしている。
だけど、カカシさんはカカシさんだ。
俺はカカシさんの地位や名声に惹かれたんじゃない。
カカシさんが世に聞こえた忍者だから愛したんじゃない。
普通でも普通じゃなくても、俺はありのままのカカシさんを好きになったんだ。
俺はカカシさんがカカシさんだから、その全てを愛したんだ。


「でも、まあ、カカシ先生が普通じゃないとしたら、そんな相手と結婚した時点で、イルカ先生ももう普通じゃないって、俺なんかは思いますけどね」
「俺が普通じゃない?」
「だって、自分で普通じゃないと思っている相手と結婚するなんて、もうそこからして普通から逸脱してるってことじゃないっスか」
シカマルならではの癖のある見解に俺は目を白黒させるばかりだった。

「相手は誰であれ、結婚した時点でめんどいっスよね。ま、みんなそんなの覚悟の上っしょ?つーか、俺なんか結婚すんのも面倒くせーって思いますし」
シカマルは、首を左右に振ってボキボキと慣らして、くわっと欠伸をした。
「すまんすまん、帰る途中だったな。早く帰って疲れを取ってくれ」
「何があったのか知りませんが、カカシ先生なら多分、慰霊碑んとこっスよ。おやすみなさい、イルカ先生」
「あ、ああ、おやすみ、シカマル」
シカマルは片手をあげて去って行った。


そうだ、この先にあるのは慰霊碑だ。

俺は桔梗の花びらが散らないように胸に抱えて、森の奥の慰霊碑に向かって駆け出した。



next



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