オトナルカカ シリアス
When I get you alone
51. 52. 53. 54.
51.
「俺の記憶は……あの写真を見つけた瞬間に、戻り始めた」
カカシ先生は、俺の胸から僅かに顔を上げた。
そして濡れた瞳でぼんやりとベッド脇の棚に視線をやった。
「五年前、里を出て行く時に、私物は全て処分するつもりだったんだがな……」
俺もつられて視線を動かした。
「あの写真だけはどうしても捨てる事が出来なくて……お前に残すのも悪くはないだろうと、お前の写真立ての中に重ねて入れておいたんだ。もう二度と俺自身は見ることはないだろうと思いながら……」
棚の上にはカカシ班とミナト班の写真が並べられている。
昔、二人で暮らしていた部屋に、置いてあったように……
そして、カカシ先生が一人で住んでいた家にも置かれていたのと同じように……
「だからだったのか、写真を重ねた瞬間、懐かしいような奇妙な感覚に襲われて、ほんの少し何かを思い出し始めた」
「だったら……だったらなんですぐに教えてくれなかったんだってばよ……」
戻らない振りをする意味なんてわかんねーってばよ。
カカシ先生は俺の顔は見ずに軽く首を横に振った。
「すぐに全部思い出したわけじゃない。本当にその時はまだあやふやな状態で、それから時折りひとつずつ過去がフラッシュバックするように蘇って行くような感じで……皆に説明された自身の過去と重なって行く感じだった」
「記憶が無い間のことは……お、覚えているのか……」
「覚えているよ……流石に瀕死状態の時のことはおぼろげだが、それでも老夫婦が献身的な看護をしてくれたことや……ある日、お前が探しに来てくれたことも微かに記憶に残っている。そして気がついたらこの里に居たことも……」
だったら、約束も覚えているのだろうか。
何度も俺が強請って口にさせた儚い約束……
記憶が戻ってもここにいると無理矢理誓わせ……
そして、俺がした最低の仕打ちも……
「記憶が少しずつ蘇りながら、自分が記憶を失っていたと言うことを理解して行くと言った感じだった。記憶を失っていた間のことを徐々に自分の過去として追認して行く感覚と言うのか……お前とサクラが必死で看病をしてくれた事や、お前が飛雷神の術で飛び回ってくれたことなどを今度は思い出して行くと言った具合で……不思議な感覚だったな」
思い出すように噛み締めるようにカカシ先生は話し続ける。
「そして……お前が飛雷神の術をマスターしていたことには本当に驚いた。一人で良く習得したものだ、と。俺のいない五年の間にどれだけの修業を重ねて来たのか……と感慨深かった」
カカシ先生は俺の肩に額を押し付けて来た。
「お前が飛雷神で飛び回って見せてくれた里が、昔と変わらず平和で安泰だったこと……お前が立派に火影を務めていること……全てが……」
顔を隠したまま、カカシ先生は噛みしめるようにゆっくりと話す。
「俺は……全てが嬉しかった。もう二度と生きてこの里の地を踏むことはないと思っていたから……もう二度と、お前の顔を見ることもないと思っていたから……俺は嬉しかったんだ……」
言葉とは裏腹に悲しみが募る響きだった。
「だがそれと同時に、過去と現在の記憶が合致して行き、今置かれている状況を次第に理解し始めて行くにつれ……お前と二人、この部屋にいる現状と、ここに至る経緯とを思い出し、そのたびに……俺は……」
まるで息も絶え絶えのいまわの際の告白のようにカカシ先生の言葉は途切れ始める。
「お前の今の状況に……俺は愕然とした……お前に深い悲しみを追わせてしまっていたことが……苦しかった……」
カカシ先生は深い溜め息をついた。
「お前の絶望が伝わって来て、俺はもうどうしていいかわからなかった……俺の短慮が招いた結果だろうと思うと……俺は悔やんでも悔やみきれずに……どうしていいのかわからなかった……」
苦しみや悲しみを越えると、人はこんなにも疲れた声を出すのだろうか……
俺の悲しみは絶望に変わり、寒くて苦しくて、心がばらばらに砕け散ってしまうのではないかと思うほど……痛かった。
だけど、悲しいのも苦しいのも切ないのも、俺だけじゃなかったんだろう?
カカシ先生はたった一人で旅を続けていた五年間、ずっとずっと俺と同じ思いでいたんだろう?
「俺は、お前に憎まれているのだろうと思った。こんなにも苦しませてしまった俺のことを、恨んでいるのだろうと思った」
「ちっ、違っ……」
俺は思わず口を挟んだが続く言葉が思いつかずに唇を噛んだ。
そうじゃねー。
恨んでなんかない。
憎んでなんかない。
ただ、俺は、苦しかった。
カカシ先生のいない世界は、寒くて暗かった。
絶望に塗り込められているだけだった。
砂を噛むような毎日だった。
「なぜこんなことになってしまったのだろうと……俺は、やはり後悔するばかりだった……」
カカシ先生は後悔ばかりの人生だと、零していたことがある。
俺は……
俺は、自分は後悔することなんか絶対にないと信じ続けて来たけれど……
いつしか俺も後悔を知った。
俺の後悔はただひとつ。
五年前、カカシ先生の手を離したことが俺の後悔であり、罪だった。
52.
「お前に償いたいと思ったのも本心だったが……俺にはもうわからなかった……俺はやはりお前の側にいない方がいいのか……どうしたらいいのかわからなかった……」
俺の肩に押し付けられたままの頭が、ほんの僅かに揺れる。
必死で感情を押し殺すように涙を飲んでいるのだろうか。
「お前にここにいてくれと縋られる度に……ここにいると誓う度に……俺はどうしていいのか、わからなくなった……記憶はほぼ戻って来ていたが……」
そして、声は消え入りそうなほどに、益々小さくなって行った。
「俺は、心の底で、もう少しこのまま……もう少しこのままでいたいと……思い始めていた……」
やっと聞きとれるほどの呟きに、俺は息を飲んだ。
「記憶のない人間としてこのまま木ノ葉に留まればいいんじゃないか……
出来れば、もう少しお前と距離を取れれば、このまま木ノ葉にいてもいいんじゃないのか……
そんな都合のいい空想をし、馬鹿な考えだと呆れながら……
結論を、引き延ばしにして……
例えお前に憎まれていようと……
俺は……お前の側に居て……お前のことを……見ていたかった……」
カカシ先生の言葉は疲れ切った人のようにか細く掠れて行く。
「それも叶わぬなら……………生まれ変わることも無いならば……お前に助けられた命なら……」
項垂れた頭が本当に僅かに揺れる。
「このまま……お前の手に掛かって全てを終わらせてしまいたいとさえ思った…………」
重く切ない独白はついに消え入るように途切れた。
全身が震え出しそうだった。
心臓がバクバクして来て……
胸が張り裂けそうだ。
この人の手を一度でも離してしまった自分が情けなくって……
カカシ先生の告白が悲しくって……愛しくって……
馬鹿だ。
カカシ先生も俺も、大馬鹿だ。
だけど、馬鹿は馬鹿なりに、もう後悔するなんて真っ平だ!
「カカシ先生!」
俺はカカシ先生の両肩を強く掴み、俺の胸から引き剥がした。
そして食い入るようにカカシ先生の顔を見詰めた。
濡れた銀色の睫毛が震えながら開いて俺を見詰め返す。
ああ……
深い深い、底が見えぬ海のように深い色をした碧い瞳が俺を映している。
俺の大好きな瞳が俺を見返して来る。
先生の瞳が俺を映している。
カカシ先生が、好きだ、好きだ、好きだ……
俺はカカシ先生を恨んだことなんかねー。
好きで、好きで、好きで、もうどうしようもないほど好きでたまらない!
俺といてくれよ!
俺と生きてくれよ!
ずっとずっとその瞳で俺を見詰め続けてくれよ!
ここで!
俺の側で!!
「生まれ変わってからのことなんかクソ食らえだ!俺に殺されてもいいなんて思うくらいなら、俺と一緒に生きてくれよ……カカシ先生!」
「俺に救われた命だって言うんなら俺にくれよ。カカシ先生の残りの人生、全部、俺にくれよ!」
「今、ここにいりゃいいだろう!一人で泣くな!俺の隣で生きてくれよ……カカシ先生!」
カカシ先生が一人で泣いているのが、一番辛い。
俺の見えない所で泣くな!
全部、全部、カカシ先生の苦しみも悲しみも、全部、俺にくれよ!
俺はカカシ先生の涙に濡れた右目を見詰め続けた。
目を反らすな!
俺の瞳に映っている姿がわかるか?
俺が欲する人間が見えるか?
俺の声が、聞こえているか?
俺の魂の叫びが聞こえているか?
53.
俺は祈るようにカカシ先生を見詰め続けた。
カカシ先生も目を反らさずに俺の瞳の奥をじっと見詰め返していたが、しばらくしてふと目を伏せ、再び俺の肩に額をこつんと押し付けて来た。
沈黙が落ちる。
カカシ先生……
カカシ先生……
カカシ先生!
俺は心の中でカカシ先生の名前を叫び続けた。
どれくらいそうしていただろう。
「俺みたいな……」
掠れた小さな小さな声が聞こえて来た。
「俺みたいな……くたばり損ないのロートル、お前の側にいても何の役にも立たないぞ……」
俺の肩に額を押し付けて話す声が、俺の身体に直接響いて来る。
「役に立たないどころか……マイナスにしかならないぞ……」
涙交じりの鼻声が、俺の心を震わせる。
「カ、カカシ先生……馬鹿じゃねーの……-ほんとは俺以上の馬鹿だったんじゃねーの……今まで俺の何を聞いてたんだよ……」
シカマル並みに頭のいいカカシ先生が何を言っているんだよ。
なんでもコピーしちまって、なんでも見抜く目を持っている写輪眼のカカシが何言っているんだよ。
「俺がいてくれって言ってんだよ!カカシ先生しか欲しくねーって言ってんだよ!カカシ先生をくれって頼んでいるのは俺だってばよ!」
俺はありったけの力でカカシ先生を抱き締めた。
「俺にはカカシ先生が必要だし、先生には俺が必要なんだってばよ!!」
「俺は……ここに居てもいいのだろうか……」
「カカシ先生は、ここに居なけりゃいけないんだ。そして俺は、ココに居なけりゃ生きていけないんだってばよ!」
自分の胸にカカシ先生の身体をぐいぐいと押し付けて俺は叫んだ。
カカシ先生の温もりが伝わって来る。
俺の温もりが伝わればいい!
カカシ先生の少し早い鼓動が直接感じ取れる。
俺の心臓の音も聞こえるか?
俺の全てがカカシ先生を欲しているのがわからねーのか?
そしてカカシ先生の心臓が俺を求めて脈打っているのがわからねーのか?
俺にはわかる。
俺とカカシ先生の鼓動がぴったりと重なって行く。
カカシ先生!
カカシ先生!
カカシ先生!!
カカシ先生の両腕がゆっくりと持ち上がる。
そしてそれはおずおずと俺の背中に回され、俺の身体をそっと抱き締めて来た。
「ナルト、お前は、いつも暖かいな……」
カカシ先生が長い長い溜め息を吐くように呟いた。
「先生も暖かいってばよ……」
胸の中に吹き荒れていた冷たい風が止まった。
54.
「おはようございまーす」
次の日、俺はサクラちゃんの声で目が覚めた。
飛び起きて、隣で眠る銀色の髪を見て、ほっと安堵の吐息をついた。
夢じゃなかった!
カカシ先生がいる。
夢でも幻覚でもない。
俺はそっとカカシ先生の髪に触れてみた。
昨夜、何度も何度も触れた髪に……
「ナルトーーー、カカシせんせーい!まだ寝ているんですかー?」
ドアのない廊下から、サクラちゃんが元気な声で呼び掛けて来る。
いつも以上に、明るく装った声だった。
しかも、いつもより早い時間だ。
心配して早めに来てくれたんだろう。
「お、起きたってばよーー!」
俺は取りあえず、大声で返事をした。
俺がこんなに大声で怒鳴り返していても、カカシ先生は一向に目覚める気配はない。
気を失うように寝入ってしまったのはついさっきのことだから、仕方ないってばよ。
俺は、素っ裸で昏々と眠るカカシ先生の身体を隠すように頭からすっぽりと布団を被せて、その辺に散らばっている服を慌てて身に付けながら寝室からすっ飛んで行った。
「サ、サクラちゃん、お、おはようだってばよ!」
「おはよう、ナルト。カカシ先生は?まだ寝ているの?」
身体の具合が治ってからのカカシ先生はいつも早起きだったから、サクラちゃんは怪訝な表情を浮かべている。
「ほ、ほら、昨夜、遅くまで話し込んでいたから、寝たのが遅かったんだってばよ。もう少し寝かせといてやった方がいいかなーなんて」
「あら、そうなの?あんた、また無理強いしたんじゃないでしょうね?そんなことしたら、あたしが」
「む、無理強いなんてしてねーってばよ!だ、大丈夫。もう大丈夫だってばよ!サクラちゃんにも心配掛けて悪かったってばよ!」
俺は両手を合わせて頭を下げながら、さり気なくサクラちゃんの前に立ちはだかって、寝室に入られぬように阻止し続けた。
「なんか、あんた怪しいわね。ここ数日、あんたの所為でカカシ先生の診察が出来なかったから、少し様子を見たいのよ。相変わらず記憶もチャクラも戻っていないのよね?」
「そ、それは……」
記憶は戻っている。
記憶が戻っていることを伝えるべきか?
だけど今、教えたら、サクラちゃんは寝室に飛び込んで行きかねない。
俺が逡巡していると、サクラちゃんの視線は俺の背後に移り、ぱっと顔が明るくなった。
「あ、カカシ先生、おはようございます!」
振りかえると、カカシ先生がちゃんといつも通りの服を着て寝室のドアから出て来た所だった。
「サクラ、おはよう。昨夜は世話を掛けたね」
「えっ?」
「えっ?」
「えーーーーーーっっっっっ?!」
サクラちゃんと俺の驚きの声が重なる。
「カ、カ、カカシ先生……?」
「チャクラが」
「記憶が」
「戻ったんですかーーー!」
「戻ったってばーーー?」
サクラちゃんは、カカシ先生の雰囲気が一変していることにすぐに気が付き、記憶とチャクラが戻っていることを咄嗟に感じとった。
俺は俺で、さっきのさっきまで感じられなかったチャクラが微量だが感じ取れるようになっていたことに驚いた。
「テンゾウ、お前もそんな所に隠れていないで、出て来なさいよ」
えっ?と思う間もなく、カカシ先生の呼び掛けに応えてヤマト隊長が部屋の中に姿を現した。
ヤマト隊長も、様子を見に来ていたんだ。
そしてカカシ先生は、ヤマト隊長が潜んでいる気配を察知していたと言うのか。
「カカシ先輩、記憶が戻ったんですか?チャクラも」
ヤマト隊長もいつも以上に目を見開いて、びっくりしている。
「ま、そう言うことだ。みんな心配掛けたな」
昔と変わらず飄々とした物言いだった。
「い、いつ、チャクラが戻ったんだってばよー!」
「目が覚めたらかな?」
「そ、それって、やっぱ俺の愛の力?俺のっ……ぐっぅっ……」
俺は最後まで言い切ることが出来なかった。
カカシ先生の肘が鳩尾にヒットしたから。
「カカシ先生、記憶はいつ戻ったんですか?どうやって」
「チャクラはご自分で封印されていたんですか?先輩」
「記憶を失っている間のことは覚えているんですか?」
カカシ先生は、サクラちゃんとヤマト隊長の質問攻めに合い始めた。
「おはよーーっす……って、みんなお揃いかよ」
そこへシカマルもやって来て、話に加わった。
カカシ先生は、徐々に記憶が戻ってきた話はしたけれど、記憶が戻らないふりを続けていた話はしなかった。
ずっと混乱していて、昨夜、急に霧が晴れたように一気に思い出し、目が覚めたらチャクラが戻っていたと説明していた。
チャクラは、確かに昨夜も戻ってはいなかった。
今朝、俺が目覚めた瞬間も感じられなかった。
俺が起き出しサクラちゃんと話をしていたほんの少しの間に、何かしたのだろうか。
記憶が戻ったカカシ先生には簡単なことだったのかもしれない。
あの閉じられた左の瞼の下の写輪眼も目覚め始めたのだろうか。
カカシ先生には驚かされてばかりだ。
「良かった……カカシ先生、本当に良かった」
サクラちゃんは涙ぐんでいる。
「サクラ、色々ありがとうね。こうして元気になれたのもサクラのお陰だよ」
「そんなこと……」
サクラちゃんは目尻を拭いながら首を振る。
「ナルトが必死で探してくれたんですよ。それに治療だってナルトが手伝ってくれて……だけどカカシ先生、今後は……」
元気になったらまた草になって出奔しかねないと思ったのだろう、サクラちゃんは不安そうに言い淀む。
「ん、しばらく木ノ葉にいようかと思ってね」
サクラちゃんと、固唾を飲んで話を聞いていたヤマト隊長の顔が更に明るくなった。
「やることが出来たし」
「やること?」
「この頼りない火影を、少し鍛え直さなけりゃいけないでしょ」
「確かに!」
サクラちゃんが満面の笑みを浮かべて手を打った。
「そうですね。とんでもない甘ったれですよ、この火影様は」
ヤマト隊長が腕を組んで頷く。
「そりゃあ助かる。ビシビシ鍛え直してやってくださいよ。この火影サマと来たら、誰の意見にも耳を貸さねぇんだから。首根っこをぎゅうっと抑え込める御意見番が必要っすよ」
シカマルがとんでもない事を言う。
「あら、いいわね、それ」
「カカシ先生が御意見番かよ!」
俺は思わず突っ込んだ。
みんなが俺の顔を見て笑い出した。
サクラちゃんが笑っている。
シカマルが笑っている。
ヤマト隊長が笑っている。
カカシ先生が、三日月形に目を細めて笑っている。
俺もつられて笑い出した。
五年ぶりに腹の底から笑った。
end
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あとがきは、 ザ・創作Memo! のラストにあります。
良かったら、ついでに読んで行ってね!
2012/02/27