オトナルカカ   シリアス








When I get you alone






20.    21.    22.    23.    24.    25.










第三部     


20.


飛雷神の術は、カカシ先生が去ってから死に物狂いで修業し、数年がかりでマスターした術だった。


誰よりも何よりも強い忍びになるのが俺の目標だった。
火影は終着点じゃない。
強さとは、全てを守り、受け入れ、支えられると言うことだ。
そして、誰からも信頼されると言うことだ。

俺は、もっともっと強くなる!
俺は、火影としての仕事の傍ら我武者羅に修行も続けた。
憧れだった四代目を越えるには、螺旋丸だけではなく四代目が残した他の術も使いこなしたかった。

エロ仙人もいない。
カカシ先生もいない今、手取り足取り俺に術を教えてくれる者は誰もいなかった。
それでも……
それだからこそ、俺は一人でマスターしなければならない。
四代目が使えた術だ。
俺にだって絶対に使えるようになる。
カカシ先生が、四代目を越える忍びは俺しかいないと信じてくれていたあの言葉が支えだった。


俺がカカシ先生を支えとしていたように、俺はカカシ先生の支えになりたかった。
全ての支えになりたかった。
全て受け止められる男になりたかった。

そして、今、俺は里を背負う火影だ。
だから、全てを支える。
そして、全て受け止める男になる。
修行に近道はねー。

俺にとって果てしない道かと思われた修業は苦ではなかったが、何もかも忘れたいがため、何も考えたくないがため、執務に修行に打ち込み続けていたのかもしれない。




飛雷神の術で瞬く間に自分の部屋に戻った俺は、カカシ先生をベッドに寝かせると、すぐに影分身を出し医療班で働くサクラちゃんを呼びに行った。

火影の不在は混乱を招くと言うことで、俺の不在は里人には極力秘密だった。
だが、毎日のように顔を合わせていた親しい者や、側近の忍び達に完全に隠し通すのも無理がある。
どうしても俺に会いたいと言う奴には、シカマルは「これは内密だ」と前置きをして、ガマ仙人のお告げがあり妙木山に行っていると言う作り話をしてくれていたはずだ。

サクラちゃんにもヤマト隊長にも内緒だった。
どちらにも心配させたくない。
悲しませたくなかった。
それに、俺がカカシ先生を見つけて帰って来れば全て丸く収まる話だったからだ。


サクラちゃんは俺の姿を見て、妙木山から戻ってきたと思ったのだろう。
「あら、ナルト、もう帰って来たの。今度はどんなお告げが?」
突然呼び出されてすっ飛んで行ってしまったと思っていた俺に対してサクラちゃんは、やや不安な顔をして寄って来た。
そんなサクラちゃんを俺は廊下に引っ張って行った。

「驚かないで聞いてくれ」と言う前置きの元、カカシ先生からの連絡が途絶えたこと、俺はカカシ先生を探しに行っていたと言うことを手短に話した。
サクラちゃんは話を聞くうちに悲痛な顔になっていったが、
「なんであたしも連れて行かなかったのよ!」と、最後には涙声でそう怒った。

「サクラちゃん、お願いがあるってばよ。カカシ先生、すげー怪我をしている。サクラちゃん、治してやってくれ」
「怪我……そんなに酷いの?」
「驚かないでくれよ。毒で……全身酷い事になっている」
火影の塔にある自室までサクラちゃんを引っ張って行き、そう忠告して部屋に招き入れた。


サクラちゃんは、カカシ先生の姿を見て一瞬絶句したが、流石医療忍者、すぐに立ち直って医者の顔になった診察を始めた。
カカシ先生の状態を一通り診ると、その顔は更に険しいものになった。
「サ、サクラちゃん、カカシ先生は大丈夫だよな?治るよな?」
俺は、ついついそう聞かずにはいられなかった。
サクラちゃんに大丈夫だと言って欲しい。
治ると信じて連れ帰って来たが、確証が欲しかった。
サクラちゃんが……
俺が全幅の信頼を寄せるサクラちゃんが一言、言ってくれさえしたら……

「ここでは、たいした治療が出来ないわ。木ノ葉病院へ運びましょう」
それなのにサクラちゃんは俺の質問には答えずに、病院へ連れて行こうと提案して来た。
「駄目だってばよ!カカシ先生のこんな姿を、他の奴らに見せるわけにはいかない」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょう!」
「駄目だ」
俺は強く否定した。
もう、絶対に、ここからは動かさない。
俺の側からは動かさない。
それに、こんなカカシ先生の姿を、俺とサクラちゃん以外に見せたくはない。

「里の至宝とまで言われたカカシ先生が、こんな姿で里に帰って来たなんて、知らせるわけにはいかねー。みんなにも動揺が広がる。ここで治療してくれ。必要な物があれば、なんでも俺が運んで来るから」
「……でも、無理よ。毒の解析だってしなけりゃならない。大掛かりな解毒治療が必要だわ。あたし一人じゃ時間が掛かり過ぎる。特別室があるからそこに移しましょう」
「木ノ葉病院より、ここ火影の塔の方が結界は強い」
弱っているカカシ先生を狙いに来る奴がいないとは限らない。
そう主張した俺に、サクラちゃんは渋々ながら折れ、カカシ先生の治療はここ、火影の塔にある俺の自室、俺の寝室のベッドの上で始まった。









21.


カカシ先生の状態は凄惨を極めた。

包帯の下の傷は激しく膿み爛れ、薬草の塗り込められた布がへばりつき、激しい悪臭を放っていた。
ぐちゃぐちゃに膿み爛れた肉がグズグスに溶けだしているような箇所もあり、皮膚と肉の殺げ落ちた場所からは骨が見え始めている箇所さえあった。
皮膚は全てどす黒く変色していた。
驚くほど白く滑らかだった肌の面影はどこにもなかった。

黒ずんだ顔はげっそりを通り越しミイラのように痩せこけている。
眼窩も酷く落ち窪んでいる。
まるで目玉がないように……

まさか……
まさかだよな……
まさか写輪眼を……
カカシ先生は死を覚悟していたなら……
時間があったならば、己で写輪眼を処理しているかもしれない。


サクラちゃんは閉じられている左目の瞼を持ち上げた。
その瞬間、俺は反射的に自分の目を閉じてしまった。
「サ、サクラちゃん……カカシ先生の写輪眼は……」
「眼球はあるわ。視力があるかどうかはわからないけれど、左右とも眼球は無事よ」
ペン型のライトを照らしながらの返答に、俺は取り敢えずほっと息をついた。

サクラちゃんは全身の状態をざっと検分すると、応急処置的にカカシ先生の全身にチャクラを流し込み始めた。
「サクラちゃん……大丈夫だよな?カカシ先生は治るよな?元通りになるよな?な、サクラちゃんってば」
「五月蠅い!大丈夫に決まっているでしょう!毒さえ抜けば……毒さえ完全に抜くことが出来れば……後はカカシ先生の体力が……体力が……」
「体力がなんだってばよ」
「体力が……体力が戻るはずよ!さあ、ナルト、治療に必要な物を運ぶわよ」
サクラちゃんの指示で影分身たちが医療器具を運び込み、俺の部屋はまるで集中治療室のようになっていった。

サクラちゃんが毒の分析をしている間、俺は影分身をカカシ先生の側に置き、容態を見守り続けた。
サクラちゃんの手当ての甲斐あってか、ほんの少しだがカカシ先生の呼吸は安定して来たような気がした。
だが目を開けることは無くカカシ先生は静かに眠り続けている。



サクラちゃんは丸一昼夜かけて毒の分析をし、解毒剤を作り上げた。
「これ、凄く珍しい毒よ。シキミ隠れの忍びが使っていた毒と同じだと思うわ」
「シキミ隠れ?」
初めて聞く里の名前だった。
「シキミ隠れの里はもうないのよ。かなり昔に滅んでしまったの。里の中のある一人の忍者が里を全滅させたと聞いたわ。そいつは落忍になったとか、今でも行方知れずと言う噂だったけれど……まさか……」
まさか、そいつとカカシ先生が殺り合ったと言うのか。
里を一人で殲滅させるような相手と殺り合ったのか?
相手はどうなったのだろうか。
カカシ先生はこれだけのダメージを食らったが、相手を仕留められたのだろうか。

「身体中に毒が回り切ってしまっていて、内臓もかなりやられているわ。毒を吸い出すと同時に解毒剤も投与しなければならないけれど……」
サクラちゃんは考え込むように黙り込んでしまった。
「けど、なんだってばよ」
「かなり強い薬だから……カカシ先生の身体が持ち堪えてくれれば……いいのだけれど……」
サクラちゃんは、ぎゅっと唇を噛みしめている。
「持ち堪えるに決まっているだろう!そ、それに、持ち堪えられればって、どう言う意味だってばよ!」
俺は不安に駆られて声を荒げた。

「だって、カカシ先生、ちっともチャクラが感じられないのよ!」
サクラちゃんも悲痛な声で言い返して来た。
それはわかっていた。
カカシ先生を見つけた時から、カカシ先生の身体の中には一片のチャクラも残っていないことはわかっていた。

「こんなに弱っている内臓に、劇薬に近い解毒剤は強過ぎるかもしれない……。だけどこの薬は、解毒と一緒に直接内臓に入れなければ意味が無いのよ」
「お、俺がチャクラを流し込めねーか?ほら、チヨばーちゃんが我愛羅を救った時みたいに!」
「あ、あんな術、あたしには使えないわ」
サクラちゃんは力なく首を振った。

「だけど……」
「だけどなんだってばよ!サクラちゃん、俺に出来ることがあればなんでもする。サクラちゃん、言ってくれ!」
「かなり繊細なチャクラコントロールが必要よ?あんたに出来る?」
「やるってばよ!」
「あたしがカカシ先生の身体から毒素を引き離したとほぼ同時に、同じ場所にチャクラを流し込んで頂戴。解毒剤が浸透する助けになる程度の微量なチャクラでいいわ」
「そんなことなら朝飯前だってばよ!」
「多くても駄目よ!ショック症状を起こしてしまうから。いい、ほんの少し、ほんの少しよ。あたしがチャクラメスで切り開くのと同じ程度に流し込むのよ」
「わ、わかった」

俺は影分身を五体出し、サクラちゃんと共にカカシ先生の身体から毒を抜き出す作業にかかった。









22.


サクラちゃんはチャクラメスで患部を切り開きながら、毒素を抽出し始めた。
「細患抽出の術」だ。
この術は、昔、砂隠れのカンクロウに施したのを見たことがある。
サクラちゃんのチャクラメスが身体の奥深くに届き毒素を絡め取り始めると、今までぐったりと意識さえないようだったカカシ先生がいきなり苦しみ出した。

「ナルト!カカシ先生を押さえて!」
相当な痛み伴うのだろう、無意識に暴れ出す身体を俺は影分身三体で必死に押さえつけた。
薄い肩だった。
廻した指が余るほど細い足首だった。
あまり強く押さえつけると、爛れた皮膚がぐずぐずと崩れて来る感触がした。
それでも押さえつけないわけにはいかなかった。
俺は必死でカカシ先生の身体をベッドに縫い付けた。

もう一体の影分身は、溶液の入った洗面器を抱えて待機している。
そして本体の俺は、切り開かれた患部を食い入るように見詰めて、サクラちゃんの合図を待っていた。
サクラちゃんの掌に吸い上げられて、チャクラで包まれた毒素が身体から完全に引き摺り出されたと同時に、
「今よ!」
サクラちゃんの掛け声がし、俺は患部から内臓に届かせる微細なチャクラを流し込む。
影分身の差し出した洗面器に落とされた毒は、じゅわっと音を立て激しい匂いを放って蒸発した。

「もっと、もっと繊細に!」
俺は全神経を手から放出されるチャクラに集中し注ぎ込んだ。
「ストップ!」
掛け声と同時にチャクラを止める。
チャクラを流し込まれて僅かに回復した内臓に、今度はサクラちゃんが解毒剤を浸透させて行く。

それの繰り返しだった。
次々にサクラちゃんが毒素を抽出して行く。
一瞬たりとも気を抜けなかった。
苦しげなうめき声を上げていたカカシ先生も、いつしか気を失うように静かになった。
それでも俺は、掴んだ肩から手を離せなかった。
この血の気の失せた冷たい肩からも俺の熱とチャクラが流れ込めばいいとばかりに……

「これで全て毒は抽出し終わったわ」
そう言うと同時に、緊張の糸が途切れ崩れ落ちたサクラちゃんを俺は慌てて支えた。
全身の毒を抜き切るのに丸一日を費やしていた。




そして、翌日、カカシ先生は、一度、目を覚ました。
右目だけをぱちりと開いた瞬間、固唾を飲んで先生の顔を見守っていた俺の心臓は、口から飛び出るんじゃないかと言うほど跳ね上がった。

「カカシ先生、具合はどうだ?どこか苦しい所はないか?痛いところはねーか?」
目を覗き込んでそう尋ねると、カカシ先生は微かに笑ったような気がしたが、すぐにまたスウっと眠りについてしまった。
一晩休んで疲れを取ったサクラちゃんが、今度は、無残に膿み爛れた皮膚にチャクラを流して治療を続けてくれている。
あまりに酷い状態の傷口は、一度では完全に治ることはなかったが、それでも少しずつ回復して行くようだった。
それに従って、土気色だったカカシ先生の顔にも少しずつ生気が戻って来ていた。


次に目を覚ました時は、一回目よりほんの少しだけ長く目を開けていて、俺が話し掛ける声に反応するかのように何度か瞬きをして、また眠りについた。
サクラちゃんが治療にあたれない時間も、俺は常時、カカシ先生の側に影分身を置き看病を続けた。
そして三度目に目を覚ました時、ようやくカカシ先生が声を出した。
それは記憶にあるカカシ先生の声よりも酷く掠れていたが、確かにカカシ先生の声だった。


「ここは……?」
「カカシ先生、目が覚めたか?どこか痛いところはないか?苦しくねーか?もう安心していいってばよ。ここは木ノ葉だ。ソウタじーさんの家から俺が連れ帰って来たってばよ」
「ソウタじーさん?」
「覚えてねーのか?カカシ先生を助けてくれたじーさんだよ。ソウタじーさんのお陰で、俺はまたカカシ先生に会えたってばよ」
「カカシ先生?カカシ先生と言うのは私のことですか?」
カカシ先生は右目だけを開き、不思議そうな顔で俺を見詰めて尋ねて来た。

「何言ってるんだってばよ。カカシ先生、まだ意識がはっきりしねーのかな……」
もしかして、毒にやられた後の記憶はないのかもしれない。
急に木ノ葉に戻っているなんて言われても混乱しているんだうろ。
俺はほんの少し笑って、カカシ先生に説明を始めた。
「東の国に潜入したのは覚えているか?そこでカカシ先生は、多分シキミ隠れの奴と戦ったんだ。で、毒にやられて川に落ちて、流れついて倒れていた所をソウタじーさんって人に助けられたんだろう」
「東の国……?」
「東の国に行った事も覚えてねーのか?」
東の国に行く前は、どこの里を調査しているって報告して来ていたんだったっけ?

「……君は誰です?」
「はっ?何、言ってるってばよ?」
「君は私を知っているんですか?それに、私は……」
「カカシ先生?どうしちまったんだよ?俺だってばよ。ナルトだってばよ?」
「私はカカシと言うのですか?」
「カカシ先生、ふざけてんのか?俺、すげー心配したんだぞ!一ヵ月探し回って!」
「すみません。本当に私にはなんのことか……それより私は……」
カカシ先生は俺をからかっているんだろうか。
シカマルみたいに、火影が私情で行動するなと叱るつもりなんだろうか。

「俺が探しに行ったのが、気に食わねーって言うのかよ!俺、俺、すげー心配して!」
「ナルト!何、大声出しているのよ。あら、カカシ先生、目を覚ましたのね」
「サ、サクラちゃん!カカシ先生が、カカシ先生がおかしいんだ!早く、早く診てやってくれってばよ!」
声を掛けられて、俺はサクラちゃんが午後の治療のために部屋に入って来た事に気が付き、救いを求めるようにサクラちゃんに訴えかけた。









23.


「まるで記憶が無いのよ」
「マジかよ……」
流石にいつものようにめんどくせーとは言わなかったが、シカマルの顔にはありありと「面倒臭いことになったぞ」と書いてあった。

「俺のことも覚えていないってばよ……」
意気消沈しきった俺の声は酷く情けない。
「あんたのことだけじゃないでしょう!あたしのことだって覚えていなかったわよ!」
「痛いってばよ、サクラちゃん……」
そんな俺の背中をサクラちゃんは思い切り平手でぶっ叩いてくれた。

「日常に関する記憶はあるのよね。生活全般とか。木ノ葉にいた記憶は無くても、地理として知っているって感じなの」
「自分の過去や人に関する記憶は一切なしか。全生活史健忘って奴か」
「頭部に強い衝撃を受けたか、毒の影響か、幻術とか何かそう言う系統の術にでも掛けられているのか……そっちの分野はあたしにはさっぱりだわ」
サクラちゃんはやるせなさそうに首を振った。


「ど、どうしたら思い出すんだ?!折角、カカシ先生を木ノ葉に連れ帰ったのに、冗談じゃねーぞ!」
「あんたが怒鳴ったってどうにもならないでしょう!」
「しばらく様子を見て、もう少し体力も回復して来たら専門家に回すか。イノイチさんにでも頭の中を見て貰うか?」
シカマルは腕を組んでとんでもない提案をする。

「イ、イノイチのおっちゃんに頭の中を調べられたら、どうなっちまうんだよ!あ、あれってば、拷問じゃねーのか!」
「拷問なわけねーだろ。どっちかと言うと尋問だ。記憶を失っていたって、直接脳に働きかけりゃ、カカシ先生が今まで何をしていたかだってわかるだろう」
「駄目だ、駄目だ、そんなことさせるわけにはいかねー!プ、プライバシーの侵害だ!」
カカシ先生の許可もなくもそんなことさせるのは俺が許せねー。
俺は断固として反対した。

「プライバシーったってなぁ……。記憶がもどんなきゃしょーがねーだろ」
「そ、それで、本当に戻るって保証はあるのかよ!」
俺は真っ赤になっていい返した。
「ま、まあ、ナルト、落ち着いてよ。イノイチさんに頼むのはまだ置いといて……。あたしも調べてみるけれど、もしかしてチャクラが回復すれば何か思い出すかもしれないわ」
「チャクラが回復すれば思い出すのか!」
カカシ先生のチャクラは全くゼロになっちまっているようだった。
まるで普通の人だ。


「チャクラはどうしたら回復するんだ?どうしてチャクラがゼロになってるんだ?チャクラと一緒に記憶も消えちまったのか?なあ、なあ、サクラちゃん!」
「そんなこと、あたしにもまだわからないって言っているでしょう!」
俺の切羽詰まった質問攻めにサクラちゃんは助けを求めるようにシカマルに視線を映した。
シカマルにも、答えられるはずも無く、肩を竦めるばかりだった。

そして結論はと言えば、やはりしばらく様子を見るしかないと言うことだけだった。
様子を見るって、いつまでだよ。
いつまでたっても思い出さなかったらどうするんだよ……
と言う言葉を俺は苦虫を噛み潰すように飲み込んだ。



それから俺は、影分身を出して、昼も夜もカカシ先生の側に置き、看病を続けた。
毎日、毎日、カカシ先生に、先生自身のこと、俺のこと、サクラちゃんのこと、七班のこと、里のこと、色んな事を話し掛け続けた。
カカシ先生は、日常生活に関する記憶、一般常識は覚えていたが、木ノ葉隠れの里のことも、忍びについても、一般人程度の知識しか覚えていなかった。
自分が木ノ葉の上忍だと聞かされては驚き、サクラちゃんの医療忍術や、俺がやって見せた忍術にも驚きの連続だった。

無意識なのか左目は常に閉じられていた。
サクラちゃんが瞼を開いて検査をしてみたが、左目の写輪眼は何も見えないようだった。
チャクラが戻らない限り、写輪眼も使えないのだろうか。

記憶もチャクラも一向に戻って来る気配はなかったが、身体はゆっくりとだが快方へ向かって行った。
サクラちゃんが毎日、傷の手当を続けてくれたので、倦みまくっていた傷口は塞がり始め、瘡蓋になりつつあった。
全身を覆っていた包帯も殆ど取れて来ていた。


「忍者って言うのは凄いんですねぇ」
と、感心して呟くのには、どうにも気が抜ける。
「カカシ先生は俺なんかより、もっともっと凄かったってばよ」
「でも、何も覚えていませんし。君の先生だったと言うのも覚えていないんですから、先生と呼ばれるのも擽ったいですね」
カカシ先生に「君」とか、おずおずと「ナルトさん?」なんて呼ばれる度に、俺は言い知れぬ寂しさを覚えた。
本当に俺のことも忘れちまったんだと、実感せずにはいられなかった。

「カカシ先生はカカシ先生だ。それにカカシ先生は俺のことナルトって呼んでいたんだから、ナルトって呼んでくれってばよ」
「でもねぇ……君はこの里の長なんですよね?私は自分が先生だったと言う記憶がありませんし、呼び捨てにするのは、どうにも気がひけますよ。むしろ火影様って呼んだ方がしっくり来るような気がするんですが……」
「うわー、それは止めてくれって。カカシ先生に火影様なんて呼ばれたら俺の方もむずむずするってばよ。俺が呼び捨てでいいって言ってるのに」
カカシ先生は、ずっと他人行儀に敬語も崩さず、中々呼び捨てにもしてくれなかった。

「じゃあさ、じゃあさ、俺はカカシ先生のことカカシさんって呼ぶからさ、カカシさんは俺のことはさ、せめてナルト君とかで頼むってばよ」
「本当にナルト君でいいんですか?」
「いい、いい、いいってばよ。でもいつでも呼び捨てにしてくれて構わないってばよ。それと敬語もノーサンキューだってばよ」
そんな会話を繰り返して、カカシ先生はやっと俺のことを「ナルト君」と呼んでくれることになった。


ナルトさんよりは幾分マシな気がするものの、ナルトくんも他人行儀には変わりない。
実のところ、カカシ先生のことをカカシさんと呼ぶのも憧れていたこともあったが、俺のカカシ先生の気がしない……
ナルトくんと呼ばれ、カカシさんと答える度に、俺の心の中には隙間風が通り過ぎるような気がした。
カカシ先生が戻って来たというのに、心の穴は、まだ埋まらない。
目の前にいると言うのに、まるで遠くにいる人のようだった。


それが今の俺たちの距離だった。









24.


木ノ葉に戻り二週間が過ぎる頃には、カカシ先生は普通の食事を取り、部屋の中を歩き回れるまでに回復した。


「その魚は秋刀魚って言うんだってばよ。あ、秋刀魚は覚えているか。カカシさん、カカシさんってば、秋刀魚、美味いか?カカシさんは、秋刀魚が好きだったってばよ」
俺は食事の支度から何から何まで、カカシ先生の世話は全て自分でした。
サクラちゃんの指導の元、流動色から始まって重湯から粥にして行き、ようやく普通食の許可が下りた。
俺は一番に、秋刀魚を食わせてやろうと決めていた。
そして、今、カカシ先生は俺の目の前で、昔と変わらぬ綺麗な箸使いで秋刀魚を食べている。
日常の生活に関する記憶は変わらないようだった。

「ん、美味しいよ。なんだか好きだったと言うのは、わかる気がするねぇ」
顔を見ていれば、美味しいと思っていることがわかる。
やっぱり記憶を失っても、食べ物の嗜好などは変わらないのかもしれない。
好きだったものをいっぱい食ったら、記憶も戻るかも知れない。

「いっぱい食ってくれよ!……って、急に滅茶食いさせちゃ駄目だって言われていたよな。だったら明日も秋刀魚にしようか?いやいや、もっと違う物もいっぱい食べたいよな。毎日、カカシさんの好きな物、作ってやるからな」
カカシ先生が御飯を食べている姿を見られるだけでも幸せだった。
俺はカカシ先生が戻って来てから、カカシ先生の姿から一時も目を離せずにいた。
今も、秋刀魚を食べる姿を見詰め続け、話し掛け続けた。

「ナルト君は、本当に私のことを良く知っていたんだね」
「当たり前だってばよ!だって俺はっ……」
俺は、カカシ先生と恋人同士だったと言うことは、告げていなかった。
「俺はカカシ先生の一番弟子だったからな!」
「里長が一番弟子だなんて、凄いねぇ」
カカシ先生はにこにこと笑っている。



「御馳走様でした」
「あ、もういいってば?もう少し食べられねーってば?」
「いや、もうお腹いっぱいだよ」
箸を置いて手を合わせた後、その手は顔の瘡蓋に辿りついた。
治り掛けの傷はあちこちが痒いらしく、カカシ先生は無意識に掻いて瘡蓋を剥がしてしまうことがあった。

「駄目だってばよ!痕が残っちまう!」
俺は慌ててカカシ先生の手を掴んで止めた。
「でも痒いんだよね」
「痒いのは治っている証拠だ。サクラちゃんの薬をちゃんと塗り続けていれば、痕も残らないって言ってたからな。折角の綺麗な肌、痕が残ったら大変だ」
俺は真剣に諭したのに、カカシ先生は、プッと吹き出して笑い出した。

「綺麗な肌も何も、おっさんの顔に少しくらい痕が残ろうがかまいやしないよ」
「だ、駄目だってばよ!カカシさんは、おっさんなんかじゃないってばよ!」
筋肉はげっそりと落ち、元々小さめだった顔も更に細く小さくなっていて、いまだやつれて見えるが、不思議なことに俺の目にはカカシ先生は五年前と変わらなく見える。
笑うと目尻に薄っすらと皺が見えるけど、離れていた月日がまるで夢のように感じられるほど、カカシ先生はカカシ先生のままだった。
あの普段は気が抜けるほど柔らかだった雰囲気はそのままだった。

「気を使ってくれるのはありがたいけれど、私は結構いい年じゃない。どこからどう見てもおっさんだよね。それに元々、顔にも傷があったみたいだし、今更、ひとつやふつた増えてもかまわないよ」
カカシ先生は、俺に押さえられていない方の手で、閉じられたままの左瞼を触ってみせる。

「カ、カカシさんは、全然変わらねーよ。カカシさんはおっさんだけど全然、おっさんじゃないってばよ!」
「いやいや、おっさんだから。ほら、いつまでもおっさんの手を掴んでいなーいの」
からかうように言われて、俺は掴んだままだった手を慌てて離した。
カカシ先生は何も覚えていない癖に、段々と敬語が抜けてきたら、昔と同じ口調で話すものだから、その度に俺はどぎまぎした。
白くて細長い指先も変わらねー。
体温も変わらねー。


「なあカカシさん、そっちの目は、全然視力戻らねーのか?何にも見えねーの?」
「見えないねー。見えないと言うか目があるような感覚も無いんだよね。だけど開けておくとなんとなく疲れるから閉じているんだけど。シャリンガンって言うの?そんな不思議な目を持っていたなんて驚きだよね」
と、まるで他人事のように答える。

カカシ先生のチャクラも戻って来なかった。
体力は回復してきていたが、チャクラの流れは一切感じられず、体内からは完全に消えてしまっていたようだった。
チャクラが無ければ、写輪眼も使えないのは仕方ないのかもしれない。
そしてチャクラが戻らないのは、記憶を失っているからだろうか。
忍者の記憶が蘇らないからだろうか。









25.


「そろそろリハビリがてら、カカシ先生の知り合いに引き合わせてみたらどうかと思うの」
「そうだな、少し刺激を与えた方が、思い出す切っ掛けになるかも知れないな」
今までカカシ先生の帰還はこの三人以外には極秘で来たが、カカシ先生の体力も回復しつつあったので、サクラちゃんがそう提案して来て、シカマルも同意した。
カカシ先生が懇意にしていた人間なら身元も素性も口の堅さも保障されているだろう。

「それからナルト、あんたの影分身ももうおしまいよ。一年中はついていなくていいわ」
「な、なんでだってばよ。俺がいないとカカシ先生不便だろ。サクラちゃんだって24時間いられるわけじゃねーし」
「他の人に会わせるのにいちいちあんたが立ち会っていたら邪魔だって言ってんのよ」
「そ、そん時は、席を外すってばよ」
「必要ないって言ってんのよ!それにいつまでも影分身を出し続けておくのも不自然でしょ」
サクラちゃんは相変わらず厳しい……

「それにお前、この前、執務室に影分身を寄越しただろう」
「いや、それは……あの、たまには本体もカカシ先生の側にいてーって……」
「ナルト、あんたそんなことしてたの!いい、もう影分身は必要な時以外、カカシ先生の部屋に出入り禁止よ!」
カカシ先生の部屋って言ったって、元は俺の部屋だってばよ。
俺は同じ部屋にもう一つ簡易ベッドを持ちこんで、ずっとカカシ先生を見守って来たのに……

「あんたのベッドも隣の部屋に移動させなさい」
「で、でも、夜中に具合悪くなったりしたら……」
「もう大丈夫よ。それともあたしの見立てを疑うの?」
サクラちゃんが怖い顔をして睨んで来る。
「わ、わかったってばよ……」
俺は相変わらずサクラちゃんには頭が上がらず、すごすごと従うしかない。
と言うわけで、俺の影分身による24時間体制の看護はあっけなく終了させられることになった。

俺の執務している時間に、サクラちゃんによるリハビリ計画が進められて、カカシ先生は徐々に親交の深かった人間に引き合わされることになった。



「な、カカシさん、俺、明日からカカシさんの側にずっといられなくなっちまったんだ……」
俺はその晩、カカシ先生にこれからの予定を説明した。
「ナルト君のあれは影分身って言うものだったんでしょ?それって大変な忍術なんだってね。今まで、ありがとうね」
カカシ先生はベッドに座ったまま、頭を下げた。

「あ、あ、ありがとうなんて水臭いってばよ!そ、それに俺は影分身の一人や二人、出しっ放しにしていても屁でもないんだ。それなのにサクラちゃんもシカマルも融通が効かねーから……」
「だってこの間、ここに本体を残して影分身を仕事に行かせたのシカマル君にばれちゃったんでしょ?火影様はちゃんとお仕事しなければ駄目だよね」
「火影の仕事もちゃんとしてるってばよ!俺の火影の仕事っぷり、カカシさんにも見せたいってばよ」
カカシさんに見せたかった……
ずっと、ずっと、カカシ先生に見てもらいたかった。
俺が火影として、立派にやっている姿を、カカシ先生に見て貰いたかったんだ、俺は……

「見なくってもわかるよ。ナルト君は、きっといい里長だって。里のみんなを大切にして誰からも信頼されて。この木ノ葉の里って、みんなが幸せな里なんだろうなって、見なくてもわかるよ」
カカシ先生はそう言って、右目を三日月形に細めて笑う。
記憶が無いのが嘘のように、この優しい笑みも昔のままだった。
記憶が無くても、カカシ先生はやっぱりカカシ先生なんだ。
人の本質って言うものは、変わらないんだろうか。

俺は、カカシ先生の側に、ずっとずっと一緒に居たかった。
やっとカカシ先生が戻って来たんだ。
俺の側に戻って来てくれたんだ。

カカシ先生が俺に笑い掛けてくれる。
それだけでも幸せなんだ。





next







2012/01/01、01/02、01/03、01/04、01/05、01/06




レンタルサーバー inserted by FC2 system