カカシさん、テンゾウに片想い!








君よ知るや





1.    2.    3.    4.    5.    6.










1.


「なーに、また振られたの?」
「そうなんですよ〜。ボクの何がいけないんでしょうか……」
居酒屋のカウンターで、酔っ払って管を巻いているテンゾウを俺は慰めていた。
こんなことも、もう何回目だろう。


「で、今度はなんだって?」
「今度も同じなんですよ……私にはテンゾウさんは勿体な過ぎるって……勿体な過ぎるってなんですか!ぼかぁ、そんなに大層な人間じゃありませんよ!」
テンゾウは酒を一気に呷ると、グラスをカウンターに叩きつけた。

「ボクは……ボクは確かに初代様の細胞を受け継いだ里でただ一人の木遁忍者かもしれませんが、ごくごく普通の男です。それなのに、それなのに……」
テンゾウは顔を顰め鼻をすすり、くぅ〜と情けない声を出して男泣きに泣く。
「それなのに、付き合い始めて暫くすると、揃いもそろってそんなことを言ってボクから去っていく。どーしてなんですか〜〜」
「いや、それはその言葉通りなんじゃないの?お前があまりにいい男だから、きっと恐れをなしちゃうんじゃないの?」
俺はそんな風に慰めながら、空になったグラスに酒を注ぎ足してやった。

「そんなことあるわけないじゃないですか〜〜。ボクは至って普通の、どちらかと言うとくそ真面目な平凡な男だって言うことは先輩だって、よーく知っているでしょう」
「いやいや、お前はいい男だよ、ホント」
ほんと、いい男だと思うんだけどねぇ……
俺は自分の酒をちびりちびりと飲み続けながら思う。

「そんな慰め結構ですよ。きっとボクには自分ではわからない欠点があるんでしょうね。彼女たちはみんなそれに耐えられなくなって……先輩、お願いです!はっきり言ってください!ボ、ボクはやっぱりどこか普通とは違うんでしょうか」
「そんなことないない。お前は普通だよ。普通だけど、いい男だよ。きっと彼女たちにはお前の良さがわからなかったんだよ」
「だったらなぜ〜〜こんなに振られてばかりなんですか〜〜」
ついにテンゾウはカウンターに突っ伏してしまった。

可哀想に、テンゾウは付き合う女付き合う女に振られ続けている。
テンゾウから告白して交際を始めることもあったが、殆どが向こうから告白して来て、付き合い始めたと言うのにだ。
早くて二週間、長くとも二ヵ月以内には振られている。
テンゾウ本人が今愚痴っていたように、みんな同じ理由だ。
「ヤマトさんは私には勿体な過ぎます」とか、
「ヤマトさんに釣り合う女じゃないことがわかりました」とか、
まあ、そんなていの良い断り文句を言って去って行くらしい。
そして俺はその度に、落ち込み飲んで絡むテンゾウを慰めていると言うわけだ。


テンゾウはカウンターに突っ伏したまま、声を押し殺して泣いている。
「ま、しばらくは、のんびりしなさいよ。お前はまだ若いんだから、これから幾らだっていい出会いがあるよ」
俺は震えるテンゾウの肩をポンポンと叩いて慰めてやる。
そう、テンゾウはまたすぐに彼女が出来るだろう。 本当にテンゾウは結構もてるのだ。
女が後から後から寄って来る。

元暗部の精鋭。
初代様の遺伝子を持ち、忍びとしてはなかなかのエリートだ。
見目も悪くは無いだろう。
背だって俺よりは低いが高身長な方だ。
性格も、特に難があるわけではない。
むしろ紳士的で家庭的な男だ。
年齢と言い、今まさに男盛りの売り出し中。
俺みたいにあやしい覆面忍者じゃないし、とっつきやすさもある。
若い女が放っておくわけはない。
テンゾウがフリーになったことは、すぐに若い女性の情報網を駆け巡るだろう。
次の女が手ぐすね引いて待っているだろう。

テンゾウは家庭と言うものに憧れている。
天涯孤独のテンゾウは彼女を作って結婚して、暖かい家庭築くと言うのが夢だ。
だからテンゾウは、早く恋人を作りたくてしょうがない。
振られても振られても、果敢にチャレンジを続けるのだ。
すぐに新しい女を見つけて、浮き浮きと付き合いだすだろう。

だが……
すぐに破局は訪れる。
いつもと同じように。
「私にはテンゾウさんは勿体な過ぎます」とか言われて振られるのが落ちだ。

俺には、お見通しだった。
だって、俺はテンゾウも彼女たちも知らない秘密を知っている。
俺だけが知っている。

だって……
テンゾウの恋路を邪魔しているのは、他ならぬこの俺なのだから。


俺がほんのちょっと突いただけで、尻尾を巻いて逃げて行く女など、テンゾウに似合うわけはない。
口先だけの薄っぺらな愛だの恋だのを振りかざしている小娘などに、テンゾウの何がわかるって言うんだ。
本当に、そこらの小娘になんかテンゾウは勿体な過ぎるよ。
テンゾウのことを、一番良く知っているのは、暗部時代から何度もバディーを組み、死線を共にし続けたこの俺だろう?
血継限界……しかも後付けの血継限界を持つ者の気持ちを理解できるのも、この世界で俺ただ一人だけだろう?

テンゾウのことを誰よりも理解しているのは、この俺だよ。
俺を誰だと思っているの?
写輪眼のカカシ。
里の至宝とまで謳われたコピー忍者はたけカカシだよ?








2.


「カカシせんぱーい、聞いてくださいよーー」

それから数週間後のことだ。
俺の姿を見つけるなり、テンゾウはスキップでもしそうな勢いですっ飛んで来た。
落ち込み、居酒屋で管を巻いていた姿とは打って変わって、やけに明るい。
顔を見ただけで、何かいいことがあったんだなとわかる。
ま、どうせ新しい彼女が出来たとかなんでしょ。

「あー、おめっとさん」
「なんですか、それ。まだボク、何も言っていないじゃないですか」
「聞かなくってもわかるよ。新しい彼女でも出来たんでショ」
「うわっ、凄いですね、先輩。そんなことがわかるなんて、流石写輪眼のカカシですね」
んなこたー写輪眼なんか使わなくたって、お前の様子を見りゃわかるって言うの。


「で、今度はどこの誰だい」
「聞いてくださいよ!ボクは運命の出会いをしたんですよ!彼女こそ、ボクの運命の人です!」
おや、今度は最初っから、随分、飛ばしているね。
「はいはい、今度は随分、入れ込んでるじゃない」
お前にしては、珍しいねぇ、なんて合いの手を入れながら、俺はテンゾウの新しい彼女の話を聞く破目になった。

が、実は俺はテンゾウから聞くまでも無くどんな相手だかわかっていた。
それこそ、一から十まで手を取るように知っていた。
付き合い始めて間も無いテンゾウなんかより、はるかに詳しくね。
だが俺は素知らぬふりをして、テンゾウの口から出て来る彼女の話を聞き続けた。
だって、テンゾウが今度の新しい彼女のことをどう思っているのか気になるじゃない。


「そんな運命の相手だなんて、どこに転がっていたのよ」
「図書館ですよ。なんと、図書館でボクは運命と出会ったわけですよ」
「へー、今時、図書館でねぇ」
「こう、ボクが本を取ろうと棚に手を伸ばした瞬間に、彼女の手がですね、同時に伸びて来て、ボクの手と触れ合い」
テンゾウは、自分の右手を空に差し出しすぐに引っ込めると言う出会いのシーンを再現した。

「はー、また、こりゃ、随分とベタな出会いだねぇ」
俺は呆れた声を出したが、テンゾウは案外そう言う古典的な出会いに弱いのは知っていた。
「はっとして手を引っ込めた彼女のなんと可憐なこと!」
そうそう、テンゾウは、どちらかと言うと大人しめで控えめな女が好きなんだよね。
そのカマトトな彼女の事を仕草を思い出しているのだろう。
テンゾウは自分の右手を左手で胸に押さえつけて、彼女がぽっと恥じらって見せただろう仕草まで真似している。

「真っ赤になって『すみません……どうぞ……』って、小さな声でですね、本を譲ろうとしてくれてですね」
今時、手が触れただけで赤くなるなんて、そんな女いるもんか。
テンゾウ、そりゃ演技だよ。
そんなベタな手にホイホイ釣られるなんて、お前、忍者としてどうなの?
忍者は裏の裏を読めって言うのは、基本の基本だよね。
俺はちょっと不安になったよ。


「で、ボクは本を取り出して『どうぞ、お先に』って差し出したんですが、彼女と来たらとても遠慮深くて。何度も押し付け合ってしまって」
「へー、それで?」
「ついには二人で笑い出してしまいましてね。その笑顔の可愛いこと!」
「ほぉ〜〜。そりゃ、ベタだけどラッキーな出会いだねぇ。図書館でカワイコチャンとねぇ。そんなことがホントにあるんだねぇ」
「可愛いだけじゃないんですよ!彼女は建築にも興味があるんですよ!趣味が同じなんですよ!」
テンゾウは木遁忍者だけあって、趣味は建築関係の本を読むことだ。

「益々、良かったじゃない。趣味が同じだなんて、お前にも運が向いて来たんじゃない」
建築に興味のある女ねぇ。
大工の娘じゃあるまいし。
俺は心の中で突っ込みながら、口ではおざなりにテンゾウを祝福した。

「そう思いますか!色々、話をして行くうちに彼女の読みたかった本をボクが持っていることがわかりまして、今度、貸すことになったんですよ!」
テンゾウは黒目がちの目を大きく見開いて、嬉しそうにキラキラさせている。
ま、自分の趣味に興味を持って貰えるのは嬉しいよね。
宝物にしている本を、自分好みのカワイコチャンが見たいなんて言ったら、張り切っちゃうよね。

あの本を手に入れた時のことも俺は覚えているよ。
貴重な本を手に入れたって浮かれていたお前から、俺はしつこいくらいに説明を聞かされたとがあるからね。
パラパラっと捲って見ただけだったけれど、俺は一度見た物は忘れないから、あの本がどんな本だか良くわかっている。
だから今更説明されなくたって、借りる必要もないんだけどね。
でも、趣味の本を借りるなんてお近づきになるには、とんでもなく美味しい口実じゃないか。
自然と次の約束を取るもってこいのチャンスだ。


そう、おまえ好みの地味な女……じゃなっくて、大人しそうな可憐な女に変化して、図書館でお前と同じ本を手に取る。
カマトトぶって……じゃなくって、儚げに恥じらって見せる。
そして、本を譲り合い、自然と打ち解ける。
完璧な作戦だった。
テンゾウは、ころりと嵌った。

そう、テンゾウは俺に……
女に変化した俺に、一目で夢中になった。








3.


「イネコさん、この煮物、凄く美味しいです」
テンゾウは、『イネコ』の作った煮物を美味そうに頬張る。
『イネコ』とは俺のことだ。
俺と言うよりは俺が変化した女の名前だ。


女に変化した俺は、テンゾウと図書館で劇的な出会いを演出し、趣味が同じだと言う事で瞬く間に意気投合した。
テンゾウの持っていたレアものの建築の本を借り、今日はお礼をするという名目でテンゾウの家に来て手作り料理を御馳走していると言うわけだ。
ベタだろう?
テンゾウは、普段は小難しい屁理屈をこねまわしたりする割には、女に関してはありふれたベタな手に弱い。
好みのタイプを聞かれて『好きになった相手がタイプです』なんてアホらしい答えをするような奴だからな。


「なんだか物凄く懐かしい味がします」
テンゾウは目を細めて舌鼓を打つ。
そりゃあそうだろう。
『おふくろの味百選』に載っていた料理だからね。
きっと普通の主婦や、そこらの定食屋のおばちゃんが作る味と変わりないだろう。
レシピ通りに作ることなんか俺にはお茶の子さいさいだ。

「こっちの味噌汁も、凄く美味い。こんな美味い味噌汁飲んだの初めてですよ」
テンゾウはべた褒めだ。
「そんな……ごく普通の物ばかりですよ。田舎料理みたいなものばかりで恥ずかしいです……」
イネコは、可愛らしく謙遜してみせる。
男を落とすには先ずは『胃袋』からと言うのは、まさに名言だ。


「実はボク、幼い頃の記憶が無いもので、家庭の味と言うものを知らないんです。だからきっと家庭の味とはこう言うものなんだろうなって……」
「まあ……」
イネコは、口元に手を当て目を見開き、驚いて見せる。
「すみません、突然こんな話。生い立ちのことも今では全く気にしてないんですが、イネコさんの料理を食べたら、本当に暖かくて幸せを感じたもので」
「テンゾウさん……」
イネコは瞳をうるうると潤ませて、テンゾウを見た。
テンゾウは、イネコの瞳を見返して困ったような照れ笑いを浮かべた。

「さあ、冷めない内に沢山召し上がれ!」
湿っぽくなり掛けた空気を払拭するように、イネコは殊更明るい声を作って、テンゾウに勧めた。
「そうですね。折角イネコさんが作ってくれた料理だ。冷めさせてしまっては罰が当たります」
テンゾウは「美味い美味い」と何度も言いながらがつがつと箸を進め、全ての料理を綺麗に平らげた。


そして食事も終わり、テンゾウが食器はボクが洗いますからと言うのにイネコは譲らず、結局は二人で台所に立つことになった。
イネコが洗い、テンゾウが皿を拭く。
「なんだか照れますね」
皿を拭きながらもテンゾウの視線はすぐにイネコの顔に向く。
イネコはちょうどテンゾウの肩くらいの背丈だ。
「でも……楽しいです……」
イネコは、俯いたまはにかむように呟く。
「ボクもです」
間髪を入れず同意の返事をしたテンゾウは、益々目尻を下げているようだった。
初めての共同作業です!てか!
本当にベタなノリが好きだね、お前は。



それからテンゾウとイネコの交際は、恥ずかしいほど初々しく進んで行った。
一緒に図書館に出掛けたり、その後は一緒に買い物に行き、テンゾウの家で料理を作ったり……
二人で後片付けをした後は、テンゾウはイネコをちゃんとアパートまで送り届けてくれる。

俺はわざわざ、独身女性が好みそうな小奇麗なアパートまで借りていた。
中身もレンタル家具で、女らしい部屋にしてある。
いつ上がり込まれでもオーケー。
だけど、テンゾウは、強引にイネコの家に上がり込むなんてことはしない。
イネコが自分のアパートに来るのは良くて、自分が彼女のアパートに上がり込むにはそれなりの日にちが必要だと考えているのだろう。
変な所で古風だよね、テンゾウは。
手順を踏むのが好きな奴だ。
奴の考えは手に取るように分かる。
一ヵ月くらいして、正式に交際を申し込んで来て……なんて俺は予測している。

そう、全て俺の想像通りだった。
テンゾウは好いた女には限りなく優しい。
限りなく紳士的だ。
女はテンゾウにこの上なく大事にされていると思わずにはいられないだろう。

そしてイネコといる時のテンゾウと来たら、にやけ切っている。
鼻の下が伸びきっている。
こんな表情をするとは……
俺の想像以上だったかもしれない。
俺は好いた女に向けそんな顔を一度でいいから拝んでみたいと思っていたのだ。
だから想像通りにテンゾウのにやけ面を拝めて満足なはずなのに、テンゾウがにやけた面を見せれば見せるほど、何故か腹立たしくも思えるのだった。








4.


近頃テンゾウは、まるでこの世の春と言う顔をしていた。
任務の方も、絶好調のようだった。
イネコとの交際が順調に進んでいるお陰で、俺を赤提灯に誘って管を巻くことも無かった。
そんなテンゾウと久しぶりに待機室で顔を合わせた。
俺にとっては俺の姿で会うのは久しぶりと言うだけだったが。


「カカシ先輩!」
先に待機室にいた俺の姿見つけると、テンゾウは嬉しそうな顔をして寄って来た。
「よぉ、久しぶりじゃないの。あの例の彼女とは上手くいってるの?」
「はい、お陰さまで順調です。イネコさんは素晴らしい人で!あ、彼女、さとやまイネコさんと言うんですが、イネコさんはですね」
テンゾウは俺の隣に座るなり、怒涛のように彼女の話を俺に語り出した。
これはまさしく惚気と言う奴だ。

しかし、なんだよ「さとやまイネコ」って。
自分で名乗った偽名ながら、ださいよね。
ま、苗字に因んだ名前をつけるのは木ノ葉の風習みたいなものだから、結構ありふれた名前だとは思う。
料理が上手くって、まさしくおふくろの味だって?
あんなのレシピ見りゃ、誰にだって作れるよ。
夢を持ったしっかり者だって?
建築の勉強をしている学生だって?
そんな人間、ごろごろいるよね。
全くテンゾウは普通に弱い、弱過ぎるよ。

「ボクは真剣にお付き合いしたいと思っているんですよ。結婚を前提にお付き合いしてくださいと申し込もうと思っているんですが」
はあ?
結婚を前提だって。
お前、幾らなんでも急すぎやしないか?
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
俺はうっかり間抜け面を晒す所だったよ。
危ない、危ない。

「だって、相手は学生だって言わなかったか?」
「勿論、結婚は学校を卒業してからですよ。でも、イネコさんはボクの理想の人なんです。理想そのものと言っても過言ではない。婚約だけでもしておきたいんです」
婚約ねぇ……
そんなことまでは考えていなかったよ。
困ったな……
俺が渋い顔をしていたのだろう。
「やはり性急過ぎるでしょうか?こう言う態度が、引かれてしまう元なんでしょうか?」
テンゾウは不安げに尋ねて来た。

いや、今まで付き合って来た女だって、お前に結婚を申し込まれたら誰だって二つ返事で承諾したに決まっているよ。
お前がそこまで決心する前に俺が邪魔して別れさせて来たようなものだからね。


「うーん、やっぱり早すぎるんじゃない?相手はまだ学生で若いんだし、そんな先の人生設計考えていないと思うしねぇ。悪くすりゃドン引きされるんじゃないの」
「ドン引きですか……」
テンゾウは、テンゾウの顔が曇る。
「独占欲強過ぎるのも、怖がられる元じゃないの?」
「こ、怖がられますか?」
テンゾウはがくりと肩を落とした。

「でもボクは本当に彼女しかいないと思ったんです」
「だからそう言う思い込みの激しさがキモイって言うか」
「キモイですか……」
俺の追い打ちにテンゾウは蒼褪め沈没寸前だ。
可哀想だけれど、俺は結婚なんて考えていなかったしね。
プロポーズなんかされたら困るわけよ。

俺は女の代わりにテンゾウと少しばかり付き合ってみたかっただけなんだよ。
女と言うだけで、テンゾウと何の障害も無く付き合える奴らが羨ましかっただけなんだよ。
みのることのない哀れな俺の恋心に、少しばかりの想い出を作ってやってもいいだろう?
そんな軽い気持ちだったんだよ。

女として付き合ってみたテンゾウは、本当に思った通りの行動をした。
多分、恋人に対してはこう言う行動を取るだろうと想像していた通りだった。
テンゾウ普段から割と誰にでも紳士的だが、好いた女に対しては本当に優しく紳士だった。
想像通りのこともあれば、想像以上に思えることも沢山あった。
そして、俺が今まで見たこともないような、蕩けそうな顔で笑うのには驚いた。
テンゾウにこんな笑みで見られて、大事にされる女は幸せだと再確認した。
男の俺には得られないものばかりだと再認識した。


「どうしたらいいでしょう。本当にボクはイネコさんこそ運命の人だと確信したんです」
テンゾウは必死に言い募る。
「うーん」
俺も考えるふりをして唸ってみせた。
うーん、うーんと二人で唸りながら顔を突き合わせていると、待機所のドアが開き受付係が顔を出し俺の名を呼んだ。
やれやれ任務が入ったか。

俺はこれ幸いと、
「ま、なんだな、あまり焦らないでもっとじっくりと付き合ってから申し込んだ方がいいんじゃないの?急がば回れだよ」
そう言ってテンゾウの肩をぽんと叩いて立ち上がり、受け付けに向かった。


廊下を歩きながら考える。
じっくり付き合ってと言ったはいいが、それはいつまでだ?
俺はいつまでイネコになってテンゾウと付き合いを続けられるだろう?
いつまでテンゾウを騙し続ける気でいるんだ?

ほんの少しでいいから、テンゾウと付き合う女の気分を味わってみて、後は今までの女同様、
「あたしにはテンゾウさんは勿体ない人です」
とかなんとか言って別れりゃいいと考えていた。
テンゾウには可哀想だけれど、付き合っては別れる今までの女の一人と同じことだろうと思っていた。
ほんの少しの罪悪感を抱きながらイネコを演じてきたが、俺の馬鹿げた一人芝居もそろそろ潮時かもしれない。
結構、早かったなぁ……








5.


あれほど俺が忠告したのに、テンゾウの奴!
次のデートの時、「結婚を前提」の交際を申し込んできやがった。

「返事はすぐではなくて構いません。もう少しこのままお付き合いして頂いた上でのお返事で構いません。お願いします」
絶句するイネコに向かって、テンゾウは頭を下げた。
演技ではなく、中身の俺も本気で驚き開いた口も塞がらなけりゃ、目ん玉も飛び出そうな有様だよ。
返事は後でと言ったって、これじゃあもう「結婚を前提」のお付き合いを申し込んでいるのと同じ事じゃないの?

俺は、今すぐテンゾウを振って逃げた方がいいのかもしれない。
これ以上、傷口を広げない内に……
これ以上、テンゾウを傷つけない内に……

どう取り繕おうとテンゾウを傷つけることには変わりない。
だが、アホらしいことに、傷は俺自身にも跳ね返っているようだった。
俺の心の奥にもいつの間にか傷口が出来ていて、そこから血が流れ出て来るようだった。

このままでいられるわけはないのに……
いつまでも騙し続けられるわけはないのに……
いつか終わりにしなければならないお芝居なのに……
テンゾウを傷つけたくない気持ちより、このままでいたいと思う気持ちが勝っている。
エゴも極まれりだ。
自分自身に吐き気がする。
馬鹿だ、俺は……
それでも、俺は……


テンゾウは、イネコの返事をじっと待っている。
「あ、あの……私、驚いてしまって……」
とりあえず俺はほんのりと顔を赤らめて驚いたふりをした。
これはあくまでもイネコ風の驚きだ。
「す、すみません」
なぜかテンゾウは、慌てて謝った。

「ち、違うんです。私も…あの、その……テンゾウさんのこと……」
語尾を濁し、いかにも恥ずかしくってたまらないと言った風にもじもじと身体を揺すった。
曖昧な態度で誤魔化せ!
取りあえずこの場での返答は避けろ!
俺は心の中でそう叫んでいたはずなのに、イネコはテンゾウの求婚が嬉しいと言う態度を取ってしまっていた。
そんな態度をテンゾウは間違えることなく読みとって、ぱーっと顔を明るくさせた。

イネコの言葉にテンゾウは一喜一憂する。
罪悪感にチクリと胸が痛む。
それと同時に、俺の心の奥深くでは、テンゾウに愛されているイネコの幸せを感じてしまうのだった。
本当に俺がイネコだったらどんなに良かったろう。


「だけど……その……急で……私、なんて答えたらいいか……あの、その……」
「返事はいつでも構いません。ですから今まで通り、付き合って頂けないでしょうか」
テンゾウは真面目腐った顔でイネコを見詰めている。
真面目で熱っぽい瞳だった。
イネコは小さく頷いた。
テンゾウの顔はにやけを通り越して蕩けそうだった。
ツクリと胸に痛みを感じた。
俺の心の中に出来た傷は、少し大きくなったようだった。
そんな痛みと、イネコになりきった俺が感じる幸せがシーソーのように揺れる。
そして、そんな危うい均衡を保ったままイネコとテンゾウは、ごくごく普通の恋人同士のような交際を続けて行ったのだった。

次のデートの時には、イネコのアパートの前まで送って来たテンゾウは別れ際にイネコの肩を掴みキスをして来た。
短い挨拶程度のキスだった。
可愛らし過ぎるキスに、カマトトなイネコは真っ赤になって見せる。
そうしたらテンゾウもつられて赤くなる。
流石にテンゾウだってこんなキスで赤くなる玉じゃないだろうに、イネコ相手だとこんな初々しさを見せるのか。
まるで絵に描いたような初々しい恋人同士だ。

少しずつ、俺の計算が狂って行く。 俺の計算通りなら、もう少し早く事は進んで行きそうなものを……
写輪眼のカカシの先読みが外れるなんて……
イネコは……
俺は……
テンゾウとの初めてのキスの余韻に呆然とするのだった。








6.


「カカシ先輩……」
ある日、珍しくテンゾウが晩飯でも一緒にと誘って来た。
暗い顔をしている。
「どうした?交際、上手くいってないのか?」
今までは、彼女が出来て付き合い始めたと思ったらしばらくすると振られて泣きついて来るパターンだったから、俺は赤提灯のカウンターに並んで座って、ビールを注いでやりながら、いつものようにそう話しを向けてやった。
だが、イネコはまだテンゾウを振っていない。
イネコは俺なんだから、そんなことは百も承知だ。

お付き合いは順調だ。
互いの予定の合う日は、必ずデートだ。
二人で色んな建造物を見に行ったり、趣味が合うだけあっていつだって話しも弾み、薔薇色の日々のはず。
それなのに、何を悩んでいるのだろう。
イネコが返事を先延ばしにしていることだろうか。
テンゾウは、イネコに催促するとか、気にしているそぶりは見せなかったが……

「お付き合いは順調ですよ。会うたびにボクはイネコさんに惹かれて行くんです」
案の定、テンゾウは付き合いはとても上手くいっていると惚気た。
だったら何がお前をそんな顔にさせる?
「だけど、その……なんだか最近、イネコさんの様子がおかしくて……」
「はぁ?」
思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。

おかしいだって?
俺の変化も演技も完璧のはず。
むしろ慣れて来た所為か、俺はイネコに変化している時は、完全に別人格になり切っていた。
元々どこかにイネコと言う女がいて、俺にイネコが憑依しているようなそんな風でもあった。
そんな俺の完璧な演技のどこに綻びが?


「時折り、どこか寂しそうで……ふっとどこかへ消えてしまいそうなそんな儚げな気配がしまして……」
確かにイネコはしっかりしているけれど、どこか保護欲をそそるような可憐な女を演じているが……
そう言う女を守ってやりたい!なんて思うような男でしょ、お前は。
俺は心の中で突っ込んだ。

「何か悩みでもあるのかと思って……」
テンゾウは割りばしでタコワサを突いている。
「だったら聞いてみりゃいいでしょうが」
俺はそう簡単に発破を掛けたが、イネコには特に悩みがあるわけじゃなし聞かれても答えられないと思うけどね。
「ボクに打ち明けてくれるでしょうか?もしかして、ボクの交際の申し込みが負担で、返答に悩んでいたりするのではと思うと……」
「まさか!」
俺は思わず、声を大きくして否定してしまった。
テンゾウは不思議そうに俺の顔を見る。

「えっと、今までお前から聞いていた彼女の様子からすると、向こうもお前に好意を持っているのは確かだと思うんだよね。だから負担とかそう言うことはないんじゃないかなと」
「先輩も、そう思いますか!?そうですよね。好意は持ってくれていると思うのですが……」
「だったら何が気になるのよ」
「一歩引いていると言うか……いや違うな。ボクに踏み込ませてくれないと言うか……壁みたいなものを感じるんです」
「そりゃあ若い女だし、相手は結構お嬢さんなんでしょう?だったらそうやすやすと打ち解けたりは……」
「そう言うんじゃなくて……なんだか時折り彼女が遠くに感じるんです。不思議なんです。会った日から、なんだか懐かしいような初めて会った気がしなかったのに。今でも彼女といると、昔から一緒にいるような気がするのに、それなのに時々、凄く遠い……。不思議な感覚なんです」

いや、そりゃ……
ちょっと、お前……
俺は何度も突っ込みを入れそうになった。
俺の変化も演技も完璧のはずだ。
完璧なはずだったのに……
テンゾウは、何か感じとっているのだろうか。
俺と言う別人格を?
俺の趣味も嗜好も考え方も全て封印しているはずなのに……

ただ、俺自身は、いつこの狂言に終止符を打とうか、最近ではそんな事ばかり考えていた。
態度に出したつもりはないのに、テンゾウは敏感に嗅ぎ取ったと言うことだろうか?


テンゾウと俺は……
いいや、俺じゃない。
テンゾウとイネコは……何度もキスをした。
テンゾウの唇の感触……
テンゾウの吐息の熱さ……
抱き寄せる腕の確かさ……
俺は初めて知ったが、それは全てイネコのものだ。

イネコは俺なのに俺じゃない。
テンゾウが見ているのはイネコだ。
テンゾウの心を鷲掴みにしているのは俺じゃない、イネコだ。
イネコなんてどこにもいない、幻の存在なのに……

イネコなんて幻だ。
いつだって簡単に消せるまやかしだ。
俺の気分次第で、イネコなんて存在は儚く消える。

もう消してしまえばいい。
明日の約束なんかすっぽかして、もうテンゾウの前に姿を現さなければいい。

テンゾウは傷つき嘆き悲しむだろうが、また俺がやけ酒に付き合って慰めてやればいい。
そしてまたテンゾウは新しい恋を探すだろう……
今までと同じだ……


「ボクはイネコさんに振られたら、もう恋なんて出来ないと思うんです。ボクはイネコさんに出会うために生まれて来たとさえ思うんです」
それなのにテンゾウはイネコへの熱烈な思いを語る。
お前、今までそんなに熱烈に恋人のことを語ったことあったか?
お前好みに変化したイネコが完璧すぎたと言うことだろうか。


「きっと将来のことでも考えているんじゃないの?それとお前への返事を悩んでいるんだよ。焦らずに待っていてやったらいいさ」
我ながら適当な台詞だと思いながら、俺は苦いビールを煽った。





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2013/07/21〜2013/09/07(加筆修正)
(初出:2012/03/30、04/03、2013/01/16、01/18、01/18、01/21、01/22、01/25、01/25、01/31)




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