カカシさん、テンゾウに片想い!








君よ知るや





7.    8.    9.    10.    11.










7.


「わあ、素晴らしいわ!」
「この年代のものは見応えがありますね」

テンゾウとイネコは、里の外れに残る古い建造物を見に来ていた。
一般公開はされているが、辺りには人っ子一人いない。
こんなものを見に来る物好きは滅多にいないのだろう。

寺院形式の建物の周りをぐるりと回って正面に戻って来た。
年代も様式も俺はぱっちり暗記している。
テンゾウとの会話も弾む。
この形式の建物の本場は東の都だ。

「私、まだ東の都には行ったことが無いので、いつか東の都の寺院巡りをしてみたいわ」
「ボクは東の都には一度任務で行ったことはあるのですが、任務でしたから」
何も見られなかったと、テンゾウは苦笑する。
そうだ、あの東の都の任務は俺も同行している。
あの時、テンゾウは『いつかゆっくり来てみたい』と零していたっけ。


「今度、一緒に見に行きませんか?」
案の定、テンゾウはそう話しを向けて来た。
「ええ、行けたらいいですね」
イネコはそう答えてにっこりと笑った。

テンゾウも嬉しそうに笑い返してきたが、その笑みに一瞬陰りを感じた。
笑顔を作るまでに間があったと言うか、自然と湧いた笑顔ではなく、笑顔を作ったと言うような感じがした。
多分、テンゾウの表情を良く知る俺にしか判断できないような、ほん一瞬の間を感じたのだった。
だが俺はイネコだから、そんな小さな変化には気がつかないふりをするに限る。
可愛らしくニコニコ笑って見せている。

それなのに、目を細めてイネコを見下ろしていたテンゾウの顔が、僅かずつ曇って行くのがわかった。
「イネコさん」
テンゾウの顔から笑みが消え、声に真剣みが増した。
「?」
どうしました?何かあったのかしら?と不思議そうに首を傾て見せる。

「イネコさん、あの……そのですね……」
テンゾウは言いにくそうにしている。
もしかして求婚の返事を催促して来るのだろうか。
さり気なく話題を転換させて、上手くはぐらかすか?


「あのですね、ボクがこんな事を聞くのもおかしいことなのかもしれませんが、ボクはイネコさんのことを大切に思っています。ですからイネコさんに何か悩みがあったり、何か気遣うことがあったとしたら、ボクは……ボクに出来ることがあれば何でもお手伝いさせて頂きたいと思っています」
「はあ……」
イネコはテンゾウの真意がわからず困惑したように相槌を打ったが、俺自身は心の中で呆れた。
馬鹿!
お前、なんて馬鹿な男なの!
イネコにそんなこと聞いてどうする!
俺は心の中で、テンゾウを罵った。
イネコには悩みなんかないんだよ!
テンゾウに大切にされている女には悩みなんかあるわけないだろう。
イネコは……イネコなら今、一番幸せな時期だろう?


「何か悩みごとを抱えていらっしゃらないですか?」
テンゾウは朴訥なほどストレートに聞いて来た。
「いえ、悩みだなんて……」
困惑する。
「イネコさん、最近、寂しそうな顔をする。さっきだって東の都に行ってみたいと言いながら、辛そうな顔をした」
「えっ?」
イネコの声だったが、イネコとして演技したのではなく、俺が素で驚いてしまった。
ああ、もう!
俺の演技は完璧だったはずなのに!

「もしかしてボクへの返事を悩んでいらっしゃるんですか」
「……………」
「どうやって振ろうか悩んでいらっしゃるんですか」
「………………」
「もしそうだとしたら、あなたは悩まずにボクの前から去ればいい。だけどあなたはいつもこうしてボクに付き合ってくれる。ボクは少しは自惚れてもいいのかと思っています」
「………………」
一言も返さないイネコに向かって、テンゾウは話し続ける。

「何を思い悩んでいるのかボクにも教えて貰えないでしょうか?悩みがあればボクにも分けてください」
テンゾウは真剣な顔でイネコを見詰めた。

イネコはなんと答えればいいんだ?
イネコに悩みなんかあるものか。

イネコは……

俺は……


イネコはもうテンゾウの側にいられない。








8.


「私は……」
テンゾウの視線に耐えられずにイネコは俯いた。

「私は……テンゾウさんにそんなに思われるような女じゃないんです……」
テンゾウが息を飲んだ音が聞こえた。

「私は……あなたには似合わない」
「馬鹿な!」
テンゾウは苦しげに呻いた。
聞き慣れた台詞だったろう。
振られる度に告げられた台詞だったろう。

「ごめんなさい。私、テンゾウさんと一緒にいられるのが楽しかった。テンゾウさんに思われて嬉しかった。だけど……ごめんなさい」
イネコは深々と頭を下げた。
いわゆる告白を断る『ごめんなさい』だ。
これで察してくださいと言う別れの最終兵器『ごめんなさい』だ。
テンゾウ、お前、聞き飽きた台詞だろう?
いつも俺がお前の付き合っている女に、裏から手を回して言わせていた台詞だ。
これが最後だから許してくれ。


「ボクはあなたに『悩みがあるなら教えてください』と言った。あなたはボクといて楽しいと答えてくれた。それなのにボクの側にいられないと言うのですか?何故なのか理由があるのではないですか?それを悩んでいるのなら、ボクに聞かせてください」
「私は……私は、テンゾウさんに思われるような資格が無いんです」
そう、今までテンゾウの付き合ったどんな小娘もテンゾウには似合わないと思ったから、俺は俺だとばれないように、あの手この手を使って、女たちに自信を無くさせたり、他の男に夢中になるように仕向けたりして、別れの台詞を言わせて来た。
今度はイネコの番だと言うだけだ。
それだけのこと。

「資格って!資格って何なんですか?それはボクにもいるのですか?だったらボクはあなたを愛する資格が無いとでも言うのですか?あなたを愛していると伝えるのに、どんな資格がいると言うのですか?」
悲痛な叫びだった。
「違うんです……違うんです……」
イネコは細い首を横に打ち振る。
悲痛な叫びながら、テンゾウらしい理屈っぽさだ。
こんな時にも、ああこれがテンゾウだなぁと俺は妙な感心をしていた。

だけど感心している場合でも絆されている場合でもない。
ともかく、このまま断り続けろ。
涙のひとつも見せて、サヨナラしろ。
上手くこの場から逃げ出せ。
あまりに食いさがって来るようだったら、次回の逢瀬を匂わせてでもいから、先ずはこの場から立ち去るんだ。
そうすれば、全てはジ・エンドだ。
喜劇の幕引きだ。
俺は自分に言い聞かせた。
これでサヨナラだ。

それなのに……

「私はテンゾウさんに嘘を……嘘をついています」
俺の口からついて出たのはそんな言葉だった。
俺の口なのに!
俺の意志を離れてそんな馬鹿な台詞を口にするのは誰だ?
まさか、本当にどこからかイネコの魂が憑依して来たとでも?
根っからの現実主義の俺が、この俺がそんな馬鹿らしいことを僅かにも思うなんて。

「嘘?それを話しては頂けないでしょうか」
イネコはまた首を振った。
駄目だ。
話せることなんかないのに!
いつまで猿芝居を続けている気だ。


「だったら聞きません。あなたがどんな嘘をついていようと、ボクがあなたを好きなことに変わりはありませんから」
テンゾウの言葉に淀みはなかった。
イネコははっとして顔を上げた。
俺の心はイネコの驚き同様、テンゾウの言葉に驚いていた。
なぜ驚いたのか……
テンゾウらしからぬ態度に思えたからだ。
事態を追求し尽くさないなんて……
理由を問い詰めないで許すなんて、テンゾウには珍しいことだった。

どうして?
何故イネコを問い詰めない?
俺にはわからなかった。
テンゾウの考えていることがわからない。
知り尽くしたテンゾウの思考回路を読めないなんて。
顔を上げたはいいが、テンゾウの視線に耐え切れずにすぐに俯いた。
テンゾウに見詰められて顔を伏せるのは俺なのかイネコなのか……
わからない。


「あなたは本当のことを知ったら私のことが嫌いになる。私に呆れる。私のことを……きっと憎む」
俺は何を言っているんだ?
俺は錯乱しているのか?
「そんなことあるわけはない!あなたがどんな嘘をついていようと、あなたに変わりはないのだから!」
テンゾウは何を言っているのだろう。
こんな台本は知らない。
俺の描いたメロドラマのシナリオには載っていなかったはずだ。
一体これは誰の台詞だ?

テンゾウらしくない……
イネコらしくない……

俺らしくない……


「例えば……私が私でなかったとしても?」

「例えば、私の姿形がまるで違っていたとしたら?」

「例えば、私はこんな性格ではなくて、全て演技だったとしたら?」

「例えば、私が最初からあなたを騙す目的で近づいたとしたら?」

「例えば、私は……あなたを愛しているふりをしていただけだとしたら?」

テンゾウの返事を待たずに、イネコは畳みかけるように次々と答えを求めない質問を放った。
テンゾウはイネコに圧倒され、何か不思議な物を眺めるように眼つきでイネコを眺めていた。


「だから私は、テンゾウさんとは一緒にいられないんです……」
大きく息を吸って俯いていた顔を上げ、イネコは静かに笑った。








9.


その途端、イネコの身体はテンゾウの二本の腕にかっ浚われ、抱き締められていた。
「泣かないでください!」
イネコは泣いてなんかいない。
涙なんか流れていない。
笑ったはずだろう?
泣いているのはお前じゃないの?
テンゾウの声はやけに悲痛な響きを持っていた。

「例えイネコさんが、この顔で無くても関係ありません。例えイネコさんが、どこかの里の間諜だったとしても、そんなことは糞食らえだ!」
小さなイネコはテンゾウの腕の中にすっぽりと収まり、テンゾウの叫びは頭の上から落ちて来る。
衣類越しにテンゾウの温もりが伝わって来る。
もしこれがお前よりもでかい男との抱擁シーンだったら、あまりに滑稽な絵だ。
俺はどこかでそんなことを冷静に思っていた。

「イネコさんは今こんなに苦しんでいる。ボクは自惚れます。あなたがボクを愛していてくれるから苦しんでいるのだと。あなたはボクを嫌いなふりをして去ろうとしているのだと、ボクは自惚れます」
「違う……違う……違う……そんなんじゃないんです……テンゾウさんは誤解しています」
「誤解だと言うのなら教えてください。どんな事実が潜んでいようともボクの思いは変わりません。信じてください」

駄目だ。
絶対に駄目だ。
絶対にテンゾウは俺を許さないだろう。
イネコを許さないだろう。
俺を許さないだろう。

イネコは憎まれたって構わない。
イネコはこのまま消えるのが一番いい。
理不尽にお前を振って去って行った女の一人になればいい。

俺は……
この期に及んでも、俺はお前に軽蔑されるのが怖い。
お前を失うのが怖い。
今までの先輩後輩の間柄を失うのが怖い。
だから、どうしても言えない。
ずるい俺はどうしても告白は出来ないんだ。

イネコのまま消えろ。
幻は幻のまま儚く消えろ。
それなのに、なぜ、俺はいつまでもこうしているのだろうか。


「私の顔も身体もこんな姿ではないと言いました。テンゾウさんは醜い姿を思い浮かべたかもしれない。でも、そう言うんじゃないんです」
「かまいません。姿なんか関係ありません。例えどんな姿でもボクの愛したイネコさんに変わりはありません」
「人でさえなかったとしたら?」
「かまいません。あなたが鬼でも悪魔でも、例え化け物でも幽霊でもかまいません」
「もし女でさえなかったとしたら……」
「かまいません。あなたが男でも女でも、例え老人でも仙人でもかまいません」
「嘘です!嘘です!そんなのは全てうそです!あなたはこの姿だから私のことを好きになった!私が醜い姿で出会ってもきっと振り向きもしなかった!私が男だったら、あなたは恋愛対象としてみなかった!」

だってそうだろう?
お前はノーマルな男じゃない。
男の、しかも暗部の先輩から思いを告げられたって受け入れやしなかっただろう?
お前より年上で、お前よりでかくて、お前より人殺しに長けている男だよ、俺は。
そこらのどんな小娘よりもはたけカカシが一番お前には似合わない。
お前の恋人から世界で一番遠い所にいる。


「そうかもしれません。でもボクはイネコさんに出会った。イネコさんに惹かれた。イネコさんの全てに惹かれたんです。肉体と精神とどちらにも惹かれたのは確かです。肉体が違ってもイネコさんはイネコさんです。もうボクはイネコさん以外、好きになれない」
「イネコではないんです。私はイネコなんて名前ではない。私はイネコなんて女じゃない。私はイネコみたいな性格でもないんです」
「例えどんな名前だろうと、例えどんな性格だろうと、あなたの心は伝わって来ていました。全てが演技だったとあなたは言うが、ボクには信じられない」
「あなたが愛してくれたイネコは幻想です」
「幻想だとしても!その幻想を作り出してくれたあなたの精神をボクは愛しています!」


馬鹿だ。
本当にこいつは馬鹿だ。
俺は笑い出したくなった。


馬鹿だ。
俺は本当に馬鹿だ。
本当に笑えるじゃないか。
これ以上ここにいたら、俺は本当に笑い出してしまいそうだった。
腹を抱えて……
涙が出るまで笑い尽くしてしまうだろう。


「まやかしは真実にはなれません」
そう一言呟いて、俺はテンゾウの腕の中から姿を消した。








10.


それから俺はイネコの痕跡を速やかに消し去った。
何重にも代理人を立てて契約したアパートも、同じく代理人越しに清算し引き払った。
建築の学校なんて、元より通っていない。
イネコの経歴は全部嘘っぱちだ。
イネコの話した経歴からは、どんなことをしてもイネコの素性は辿れない。



可哀想にテンゾウは元気をなくしているようだった。
任務も重ならないし、俺とテンゾウはしばらく顔を合わせることはなかったが、その内、酒にでも誘って来るだろう。
いつものように酒に飲まれて絡んで来るテンゾウを慰めておしまいだ。
早くお前の心の中から、イネコなんて女は消えてしまえばいい。
俺の心の中からも、イネコとしてテンゾウと過ごした記憶なんか綺麗さっぱり消してしまえばいい。
全て忘れてしまえばいい。

幻術にでもかかっていたと思えばいいじゃないか。
自分の可哀想な恋心のために、ほんの少し自分の欲望を優先しただけだ。
そんな風に自分に言い聞かせ、それでもチリチリと胸を痛めるちょっとした罪悪感は、今度何かで埋め合わせしてやればいいじゃない。
ま、埋め合わせも何も、今まで同様、また愚痴に付き合ってやるんだから、それでチャラじゃないの?
だってテンゾウはまた新しい恋をするだろう。
可愛い女の子と恋をするだろう。
懲りない奴だから。
古い恋なんてすぐに忘れるだろう。
これからも俺はテンゾウの良き先輩として、愚痴を聞いたり惚気を聞いたり赤提灯に付き合ってやるんだから。
テンゾウが本当の幸せを掴むまで。


風の噂に、テンゾウが失恋の痛手から、我武者羅に任務をこなしているらしいと聞いた。
俺の方は俺の方で、好き好んで忙しくしていたわけではないが、後から後からややこしい任務が舞い込んで来て、それはそれで何も考える暇が無いほどで、幸いだったかもしれない。
今日も任務が終わり家に帰りついたのは夜中だった。
俺は数日ぶりのシャワーを浴びて、タオルでガシガシと頭を拭きながら浴室から出て来た。
疲れているのにすぐに寝られそうもない。
ビールでも飲もうと冷蔵庫に手を掛けた所だった。

玄関のドアを叩く控えめなノックが聞こえた。
こんな夜中に誰だ?

俺は咄嗟に己の気配を最小限まで抑え、相手の気配を探ったが取り立てて怪しい気配ではなかった。
見知らぬ気配、未知の訪問者だ。
忍びでもないだろう。
だが一般人がこんな時間に俺に何の用だ?

警戒を押し殺しそっとドアを開けた。
ドアの前に立っていた女の姿を見て、俺は息を飲む所だった。

そこに立っていたのはイネコだった。
イネコの姿をした何者かだった。
俺は寸での所で激しい驚きを表すのを抑え込み、夜中の訪問者に対して胡散臭そうな不思議そうな表情を作って対応することに成功した。


これはテンゾウだ。
俺は一呼吸入れた後、事態を冷静に分析した。
イネコと言う人間を知る者はテンゾウしかいないのだ。
イネコに変化して俺の元へやって来れるのはテンゾウしかいない。

俺は、テンゾウの惚気にも愚痴にも相談にも付き合ったが、テンゾウから直接イネコを紹介して貰う機会はなかった。
だから、今目の前にいるこの女の顔を見ても誰だかわからないのが当たり前なんだ。
そう言う対応を心掛けなければならない。

しかし、なぜテンゾウはイネコに変化して俺の元へやって来たのか。
テンゾウは、イネコの正体を俺の変化だったと疑いを持ったと言うことだろう。
どう言う推理の果てかはわからないが、良くも俺に辿り着いたものだ。
俺はこっそりと舌を巻いた。

最後に瞬身で消えたのがやはり拙かったかもしれない。
あれで、イネコの正体は忍びだと言うことはばれてしまったろう。
だけど、それだけだ。
イネコは、「もし自分が他の里のスパイだったとしたら」みたいな台詞も口にさせたじゃないか。
どこかの里のくノ一だったとしたら、瞬身のひとつやふたつ使って当たり前だろう。

だからイネコの正体が忍びだったと推測したとしても、俺だと言う確証は何もないはずだ。
テンゾウが本気で俺を疑って、俺の家に来たのかはまだわからない。
ここで、尻尾を掴まれてはいけない。
疑惑の段階なら、しらを切り通せ。
慎重に対応しなければいけない。
テンゾウと俺との化かし合いだ。


「えーと、どちらさま?」
俺はいつもの俺のように飄々としたとぼけた口調で女に向かって誰何した。
「夜分遅くにすみません。私、さとやまイネコと申します。あの……テンゾウさんとお付き合いさせて頂いています」
テンゾウの演技も完璧だ。
目の前の女は、俺が化けていたイネコと瓜二つだった。
姿形も声のトーンまでも、寸分違わぬ出来だった。
流石だね。

「あ、ああ、お噂はかねがね。で、えーと、何かありましたか?えっとテンゾウは?」
俺は頭を拭いていたタオルを首に掛けたまま、困惑を隠せない雰囲気で尋ねる。
「テンゾウさんから、はたけさんは頼りになる先輩だとお聞きしています。何でも御相談なさる間柄と……」
「はあ……確かに俺はテンゾウの先輩に当たる人間ですが……」
「いきなり訪問して不躾なお願いだとは思っていますが、はたけさんに相談したいことがありまして……お願いします。話しを聞いて頂けないでしょうか」
テンゾウの化けたイネコは、俺に向かって静かに頭を下げた。

俺は「困ったな」などと呟いて、まだ濡れたままの髪をガシガシと掻いた。
その間もイネコは頭を下げ続けている。
「参ったな。えーと、俺がお役にたてるかはわかりませんが、こんな所じゃなんですから、どうぞ」
俺は戸惑いながらも根負けしたと言った風采を装い、イネコを部屋に上げた。
部屋に一客しかない椅子を勧め、俺はベッドに腰を下ろし、イネコの姿と向かい合った。

しかし見れば見るほど俺の変化したイネコと瓜二つだった。
テンゾウの変化の術は元々優れていたが、ここまで寸分違わぬ変化をするには、対象者を知りつくしていなければ出来る事じゃない。
どれだけテンゾウがイネコを見ていたのか……
どれだけテンゾウがイネコを愛していたのか……
身につまされる思いだった……


小柄なイネコは膝に手を置き慎ましく椅子に座っている。
一体なんなんだ、この状況は……
テンゾウの奴、何を考えていやがる。
やはりイネコの正体が俺だと気がついて、俺を糾弾しに来たと言うことか。
回りくどいやり方だ。
それだけ俺を恨んでいると言うことか?


人の家を夜中に尋ね、話を聞いてくれと言いながら、イネコは何かを問いたげな瞳で俺をじっと見詰めている。


俺は心の中で大きな溜め息をつき、じっとテンゾウの出方を待った。








11.


しばらくしてテンゾウの化けたイネコは意を決したように口を開いた。
そしてイネコになり切りイネコの口を借りて、テンゾウとイネコの関係を説明しだした。
テンゾウと付き合っていると言うこと、テンゾウに求婚されていること、だが深いわけがありテンゾウの思いには答えられないと言うこと。
そんなことを俺に話してどうすると言うのか。
俺がイネコだと疑っているのに、どんな目論見があるのやら。

それとも、俺がイネコだったとは思いもせず、イネコの気持ちになり切って他者に相談し、解決策を見出そうとしているのか?
裏の裏を読んだり、緻密な戦略を考えるのが得意な奴だ。
こう言う回りくどい検討の仕方を考えそうな気もするが……
まさか、今回に限ってはそんな馬鹿なことはないだろう。
多分、俺はどこかでぼろを出してしまったんだ。
イネコは俺の変化かもしれないと疑われるような……
だが、それはあくまでも推理。
俺は決定的なミスはしていないはず。

嘘をつき通せ!
どんなことをしてもばれてはいけない。
そう自分に言い聞かせながら、俺はとりあえずイネコの話しを最後まで聞いた。
「えーと、良くわからないんだけれど、イネコさん?あなたがスパイかなんかだとして、それでもテンゾウを愛しちゃったと言う話しなのかな?えーと、わけは言えませんって、それで相談と言われてもね」
俺はやはりわけがわからない振りをする。

「違うんです。スパイなんかではないんです」
「えーと、だったら、整形しているとかそう言う話しなわけ?そんなのテンゾウは気にしないって言っているんでしょ?」
「整形じゃないんです」
決定的なことは言わない癖に、イネコは間髪を入れずに否定して来る。
「えーと、ともかくあなたがどんな嘘をついていたとしても、かまわないってテンゾウは言ったんでしょ?」
イネコは小さく頷いた。

「だったら、そのわけとやらを、テンゾウを信じて打ち明けてみるしかないんじゃないかなぁ」
こんなわけのわからない恋愛相談をされたら、誰だってこんな風に答えるしかないだろう?
「愛しあっているなら、恋人を信じなさい」と。
でも、そんな助言されたって俺には無理な話しだったろうけどね。
打ち明けられるわけはない。
世の中、絶対に打ち明けられないこともある。
墓場まで持って行く秘密のひとつやふたつ、誰にだってあるだろう。
俺は心の中で肩を竦めた。


「でもテンゾウさんの想像以上のことかもしれません」
想像以上のことねぇ……
確かにねぇ……
相手が密偵だったり整形美人だったりするよりも、男だったとわかる方が衝撃的だろう。
しかも尊敬し敬愛して止まない先輩と来たもんだ。
俺は自惚れでなく、テンゾウに慕われ尊敬されていることは充分承知しているからね。

「もし私が、人を何人も何十人も……いえ何百人も殺したことのあるような残忍な殺人鬼だったとしても、受け入れてくれるのでしょうか?」
殺人鬼と来たか。
私怨で殺人を犯したことはないけれど、暗部にいたような人間は確かに殺人鬼に近いかもな。
でもそれはテンゾウお前もでしょ。
それにテンゾウは……
「テンゾウは、理由もわからずに人を糾弾したり、頭から否定するような頭の固い男ではないと思うからねぇ。納得出来る理由があれば……」
そう、テンゾウは殺人鬼だとしても、自分が納得さえすれば受け入れてくれるかもしれない。


「もし私が男だったとしたら……それでも受け入れてくれるでしょうか」
俺がどうしても口に出来なかった事を、イネコに変化したテンゾウはズバリと聞いて来た。
やはりイネコの正体は俺だと確信しているのだろうか。
「それは……」
俺は口籠った。
だって、それは……やっぱり無理だろう。
テンゾウはノーマルだ。
男と付き合っているのは見たことが無い。
男は端から恋愛対象ではないだろう。
男には欲情しないだろう。

「駄目でしょうか?」
黙り込んでしまった俺に、イネコの顔をしたテンゾウは重ねて問う。
「えーとそのね……まさかあなたが男だとは思わないんだけれどね。それは例え話しだと思うんだけれどね、ま、テンゾウはノーマルだと思うし、男だとしたらなんてのは机上に乗せるだけ無駄なんじゃないの?」
俺は質問をはぐらかすような答えを口にしながら空笑いを浮かべた。

「テンゾウさんは、例えこの世の者でなくとも、化け物でも殺人鬼でもスパイでも構わないと口にしてくださいましたが、性別が違うと言うだけで駄目なのでしょうか?宇宙人だったり幽霊だったりは良くても、性別の違いはそんなにも受け入れ難いことでしょうか」
そりゃあ化け物だの幽霊だのって言うのは例えだからねぇ。
男だと言う事実と同列には出来ないんじゃなかろうか……
俺は目の前のイネコ……いや、テンゾウの言わんとする所が掴めなかった。

「そ、そうねぇ……宇宙人って言うよりも男の方が、同じ人間だしね。ひ、人として、わ、わかりあえるかもしれないよねぇ……」
何を言っているんだ、俺は。
馬鹿じゃないのか。
空々しいにもほどがある。
俺は自分でも思ってもいないことを口にし続けていた。
「それにテンゾウは、ほだされやすい所があるから……その…… 頭ごなしに拒絶はしないかもしれないね。友達からなんてことくらいは言ってくれるかもしれないね」
そう、もし俺が最初から、ありのままの姿で、テンゾウの先輩として告白したら……
テンゾウは、そんな風に答えたかもしれない。
だが考えても仕方ないことだ。
全ては今更だし、元より俺は告白する気なんかなかったんだし。
このアホらしい茶番も早く終わらせてしまいたい。


「本当でしょうか?テンゾウさんは理由がわかれば……許してくれるでしょうか?私の嘘を許してくれるでしょうか?」
「許してはくれるかもしれないね」
俺はおざなりに相槌を打つ。
「理由次第で?」
「そ、そうだねぇ」
テンゾウはくどい。
そんなこと聞いて、俺に答えを言わせてどうする気なんだ。

「私……元々、テンゾウさんを好きだったから……嘘を吐いてしまったんです……」
イネコは白い小さな両の手を、ギュッと握りしめた。
愛していれば何をしてもいいと?
愛していると言うそれだけのチープな理由が受け入れられると思うのか?
納得して本当に許されるとでも?
俺はそっと自問自答した。
自分の罪を改めて問うた。


「テンゾウさんを信じていいでしょうか?テンゾウさんは本当に信じられる人でしょうか?」
テンゾウは……
信じるに足る男だ。
それだけは言える。
俺たちは、何度、共に死線を潜り抜けたか。
何度、背中を預けて戦ったか。
忍びとしての技量だけではなく、人間として信頼に足る男だ。
それは声を大にして言える。
だけど、それとこれとは……


「テンゾウさんを信じていいでしょうか?」
「それは……あなた自身にしか答えは出せないんじゃないの?」


「だったらはたけさんは、テンゾウさんを信じていますか?」
「俺は……」


「もしはたけさんが、何か止むを得ない事情でテンゾウさんを裏切ったとしますよね?そして理由を告げて許しを請うたらテンゾウさんは許してくれると……はたけさんはそう信じられますか?」
俺は……

「テンゾウさんは全てを許してくれると信じますか?」
テンゾウは……


テンゾウは俺を許さないだろう。
俺のしたことを許さないだろう。
俺は許されたいなんて思っていない。
ただ、何もなかったことにして、逃げ続けたいと思っているだけだ。
俺はイネコの顔を見ていられなくて、そっと視線を反らした。


「私は……信じてもいいでしょうか?」
えっ?
イネコの口から出て来た意外な言葉に俺は再びイネコに視線を戻した。
イネコは俺を見詰めていた。
見詰めているのはテンゾウなのか。
この言葉はテンゾウの真意なのか?


「テンゾウさんが私の全てを知っても許してくれると信じてもいいでしょうか?」


「私は信じたい……信じたいんです」
イネコの声には強い決意が秘められているようだった。


俺は……
信じるとか信じないとかじゃない。
許されるとは思っていないんだ、テンゾウ。
だから最後まで嘘をつき通させてくれ。
このまま全ては泡のように消えてしえばいいのに……





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2013/07/21〜2013/09/07(加筆修正)
(初出:2012/03/30、04/03、2013/01/16、01/18、01/18、01/21、01/22、01/25、01/25、01/31)




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